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掌編小説・八月の光

2025年08月06日 15:59

八月の光 A LITTLE BOY MEETS GIRL

 その老人は今年100歳で、20年ほど前から寝たきりの生活を送っている。その頃から認知の方には問題があり、既に亡くなった妻や、息子孫の顔すらはっきりと覚えていないのだ。ただ窓の外の風景を眺め、時折来る介護士の付き添いでトイレを行う、そんな寝たきりの日々だった。それは生きているのか死んでいるのか? ただ言えるのは老人は一代で財を成し、偉人として崇められ、もはや本人の意志とは無関係にひたすら生かされていたのである。そんな老人だったが、さすがに現代の医療技術でも延命するのは難しいようで、その命は風前の灯。臨終を看取るための医者や、家族たちが待機している。そんな状況であった。

「ああ、、サナエ、、やっと、やっと会えた、、」
 ベッドの上で眠り続ける老人の口から、齢100歳とは思えない、はっきりとした呟きが漏れた。突然の事に、驚いた医者は老人の家族にこれは一体なんなのかと尋ねた。

「毎年ね、この時期になるとね、こうなんですよ。夢の中で、誰かと会っているのかしら? でも、サナエが誰かなんて、私たち家族にもわからないのよ」
 孫娘が答えた。

 

 80年前。当時二十歳の青年だった老人は、その日、恋人のサナエという女性逢瀬を重ねていた。親から反対された関係。身分違いの恋だった。その日もようやく会えた喜びで深く身体を重ねていた。人気(ひとけ)の少ない、廃屋のような場所。戦火のさなか、命を賭けた逢瀬だった。

 行為を終え、服を着始めるサナエに青年は語り掛ける。
「なあ、サナエ。この戦(いくさ)はきっと負ける。そうしたら俺たちは戦いから解放されるんだ。そんときは、俺たちきっと一緒に、、、」

 ーー光。
 その瞬間、青年が見たのは、まばゆいばかりの真っ白な光。
 何かに気付いたように、咄嗟に青年を突き飛ばすサナエ。
 サナエの顔。優しい微笑み。爆音。光。音の無い世界。サナエが光に包まれていく。光。光。爆音。炎が上がる。赤。黒。異臭。世界が変革していく。


「……サナエ、、、ああ、、サナエ、、!」

 老人が毎年、見続けてきた夢だった。自分の名前すら忘れてしまった今でも、「この日」になると、はっきりと思い出すのだ。サナエの、自分を守って光に包まれて消えていった、最後の笑顔を、あの優しい微笑みを。


 あれから既に80年が経った。
 長い時間だった。
 なあ、俺もそろそろ、そっちに行っていいかい?
 あれから俺、頑張ったよ。頑張ったんだ。しゃかりきに頑張って、立派になって、子供も孫も、ひ孫までできたけど、でもやっぱりお前のことがいつまでも忘れられないんだ。
 サナエ。
 やっと、お前の元に行けるよ。
 俺にも、光が見えるんだ。
 ああ、温かい光だ。
 俺も、光に包まれていく。
 サナエ、これからは一緒だ。
 サナエ、、、
 ……….…。
 


「ーー8時15分17秒、御臨終です」
 医者が淡々と事務的に告げる。
 老人は穏やかな顔で眠っていた。


 ー了ー

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