- 名前
- 松田文学男爵
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- 年齢
- 60歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 僕はアンドロイドなんだ。 アンドロイドだって夢は見る。 でも、それはキミたちのように...
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火の鳥
2019年08月12日 18:51
火の鳥 鳳凰編のアニメは賛否両論あって、実際にアニメは原作漫画の半分をばっさり切り落としてるから。よくある2時間に詰め込みました、みたいなのじゃなくて、原作の話の途中で終わってるんだよね。
でも、自分はあのアニメ好きで、傑作だと思う。
片腕の盗賊の我王は仏師の茜丸を襲い右腕を傷つける。ここからこの二人の因縁が生まれる。
茜丸は不自由な右手で死にものぐるいで修行してやがて有名な仏師になる。
茜丸を慕うブチという少女とともに修行していた彼の元に天皇に収める鳳凰の像を作るという依頼がきて、茜丸は都に向かうが、貧しいブチは不要な存在として役人に殺されてしまう。
一方の我王は盗賊を続けていたが、彼の元に速魚という美しい女性がやってきて共に暮らすようになり穏やかな生活をするようになっていた。
だが、速魚が自分の命を狙っていると邪推した我王は彼女を殺してしまう。しかし、彼女は死ぬ瞬間、一匹のテントウムシに変化した。そこで我王は思い出す、昔、水に落ちて死にかけたテントウムシを助けたことがあったことを。
速魚を殺してしまった我王はそれ以降、速魚のために、自らの罪のために、片腕で仏像をひたすら彫るようになる。
やがて、彼の元に天皇に収める鳳凰の像を作るように声がかかる。
茜丸と我王は再会し、二人は鳳凰の像を巡り対決する。
茜丸はテクニックを駆使した素晴らしい像をつくるが、凄まじい怒りと悲しみのこもった我王の像には敵わない。
そこで茜丸は我王の過去をぶち撒け悪虐非道な盗賊に天皇に献上するものを作る資格はないことを訴える。
茜丸は我王の腕を切り落とし都から追い出すことを望み、それは実行される。
その夜、茜丸の作った鳳凰像が発火、収めてあった蔵ごと大火に包まれる。茜丸は像を運び出すために火の中に飛び込み、そこで火の鳥に出会う。
本物の火の鳥の美しさを見た茜丸は再び鳳凰像をつくることを望むが、火の鳥は茜丸に、彼はもう死ぬこと、二度と人間に生まれ変わることはないことを告げる。
権力志向で名声を求めるようになりブチを見捨てと茜丸が、死の直前に真っ当な心を取り戻したにもかかわらず彼はその夢を二度と叶えることはできない。
これが結構悲劇的というか、心にグサリとくる。
漫画だと茜丸が退場した後は我王の物語になって続いていくんだけど、アニメはそうではない。
両腕をなくした我王が都を追い出された山道をら歩いていると目の前に火の鳥が現れる。だが。
我王は茜丸のようにその姿を見ても何も感じない。彼は火の鳥に背を向けて歩き出す。
そして、肩にふと止まったテントウムシを見て一筋の涙を流す。
ここでエンディング。
これには参りました。
永遠の命の象徴である火の鳥に背を向けてかつて自分が犯した罪に涙する我王。
どれだけ深い悲しみなんだ。
彼はそれを背負って生きていく道を選んだ。
救済を拒否し贖罪の道を選んだ。
手塚の原作ではここまで我王は追い込まれない、というか、かれはその後の作品でトリックスターの役割を果たすことになる。
あのお茶の水博士の祖先になるのだから。
我王は手塚作品の中で転生を繰り返す。
茜丸とは対照的に。
そういうわけで自分的にはアニメ版の我王の方に圧倒的に軍配があがる。
過去の過ちは修正されることはない。
それは背負って生きていかなければならない原罪だ。
罪とは死の棘である、というのはパウロの言葉だが、心に刺さった棘は消えることはない。
ただ、見ないようにするだけだ。
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