- 名前
- ぶだい
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- 年齢
- 55歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 無機的な、 からっぽな、 ニュートラルな、 中間色の、 富裕な、 抜け目がない、 或...
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ヴィチェンツァ・モンテッラ
2017年07月23日 18:07
現ACミラン監督
モンテッラが現役の頃イタリア代表に入っていたかどうかは微妙
キャリアのスタートは一般のイタリア人選手と同じく地方クラブから
実績を上げ入ったビッククラブは
ASローマ
つい先日現役引退をしたローマのプリンス「トッティ」率いるチームのFWのスーパーサブだった
イタリアセリエAの黄金時代は80年代後半から2010年代くらいまでかな
ミランの最後の黄金期もこの時期に重なる
アリーゴ・サッキが率い
フリット・ファンバステン・ライカールトのオランダ人トリオが攻撃を担い
フランコ・バレージ、若きパウロ・マルディー二がディフェンスを固め
カチカチのゾーンという思想のサッカーをしこの時代の流行を作った
正直この時期のミランで印象に残っている選手は余りいない
フィッポ・インザーギとサビチェビッチといった点取り屋くらい
ファンバステンは典型的なストライカーだった
サッキが辞めた後もイタリアでは(今もだが)システム優先で
いいようが悪くなってしまうが自分勝手なプレーをする選手はゲームに出られなかった
デルピエロにポジションを奪われミランに流れ着いたバッジョはまさにそんな存在で
ベンチウォーマーでしか無かった
さて
ビチェンツァ・モンテッラがローマに入った時期と同時期に
ASローマに入ったのが
中田英寿
中田はトッティのサブ、モンテッラはバティストゥータ(アルゼンチンFW)のサブ
https://www.youtube.com/watch?v=mI-VAID14QQ
このゲームは00~01シーズンのASローマの優勝を決めたといっていいゲーム
ユベントスに二点先制され後半に入りトッティに変わり中田が入るとゲームの流れが変わる
変えたのは勿論中田のミドルシュート
映像を観ると中田が日本語で「よっしゃ~」と言っているのが分かる
ロスタイムに入り同点弾を演出したのも中田だった
中田のシュートがディフェンダーにふさがれたがそのボールをねじ込んだのが
モンテッラだった
中田とモンテッラは似た境遇にいて与えられる数少ないチャンスをものにしなければならない
モンテッラはFWだけにまだ比較的にチャンスは多かったろう
しかし中田はローマの看板トッティのサブの上に中田自身ペルージャという弱小チームで
結果を上げただけの存在のうえ日本人というマイナスを考えると雲泥の差であったろう
結果論で言えばこの当時が中田がベストパフォーマンスを発揮していたので
当時の監督としても中田を使いたかったがローマを唯のチームとして冷徹な判断は出来なかった
ローマ人にしてみればユースの頃かローマ一筋で尚且つ実力で「10」を勝ち取った
トッティはアンタッチャブルだ
中田は結局居場所を失い2シーズンほどでチームを去る
同じ立場と言っていいモンテッラからすればそんな状況に置かれながらも
腐らず真面目に練習をこなしゲームに出れば結果を必ず残す中田のボリュームは物凄かったはずだ
モンテッラに限らずほかの全ての選手にとっても同じだろう
本田のACミランでの最後に監督が
モンテッラであったのは幸いだったろう
ベンチ要員として扱われても文句も言わず誰よりも真面目に練習をこなす
この姿は他のミランの選手全員が同じ思いで本田を見つめていたことが
本田が最後に決めたFKの際に選手からスタッフ全員が本田を祝福したことでも分かる
このゲームの後モンテッラは「本田にご褒美をあげた」といった
本田はそのチャンスにゴールという結果で答えた
ミランの10番としての本田には残念だったとしかいえない
しかし同じ日本人として誇りに思っていいと思う
まだ世界でリーグ優勝という結果を残したのが
中田英寿と小野伸二しかいないのだから
このデジログへのコメント
結果を求められ、それを出す。すごいのぉ
病院って、結局、患者が治ろうとするのを助けるだけ。
人はいつか死んでしまうんやし。。。
人のために、なってるんやろかって思いつつ、働いてるウチ。
> ネコマルver2さん
「死」の問題は難しいですよね
でもその現実に問題に向き合いながら働いているご自分に自信を持って下さい
ネコさんが救った命も沢山あるはずですよ
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