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祈り

2016年03月11日 22:35

5年前の3月11日
埼玉でも感じた強い揺れ。
初めて経験した大きな地震は、
収まった後も、めまいを起こしたのか
いつまでも、揺れている感じがした。

ついに東海大震災が来たのか。
情報確認のため、つけていたテレビ
東北が震源地と分かったのだけれど
間もなく、津波の映像を
目にすることになる。

見ていたのは、NHKだったか。
ヘリコプターからの中継は
道に迫る波が映されていた。
そこに止まったトラッの荷台で
男性が立ち尽くしている姿が。
四方から波が迫り
逃げ場もなく戸惑う姿。


神様


思わず呟いてしまった。
直後カメラは振られて画面は変わったが
隣にいた旦那と一緒に
「あぁ」と声を漏らしてしまった。

あの男性だけでなく、沢山の人々が
波に飲まれて命を落とされた。
その中には同じ時期、神主の勉強を
していた方もいらっしゃった。

奇跡は、起きなかった。

その後、しばらくの間は
どうして祈るのかとか
祈りとは何かとかを考えてばかりで
祝詞を読むことすら苦痛だった。

けれども、祈りは
奇跡の現象化がないから
無価値なものというわけでは
決してなかった。

悪い意味ではなく
人として身の程を知ること。
大いなる力を畏れること。
それらは、人の力では抗えない災難を
時として与えられることも知りながら
畏怖の念と共に生きる
決意表明をすること。

そして、今日1日を無事過ごせたことに
心から感謝すること。

祈りはそういうものだと
今は思っている。


これから先、大なり小なり
色々な苦しい場面に遭遇する。
その中には、自分の親しい者の死や
自分自身の死も含まれてくるだろう。

今にも息絶えそうな人を
目の当たりにもするかもしれないし
もしかしたら明日、自分の身に
何かが起こるかもしれない。

生きていくこと自体が
重く感じられることもあると思う。

けれども、どういう形にしろ
自分の時が止まったあとで
別れた人たちと再会する可能性が
僅かながらでも残されているならば。

先に逝った人の分までとは
言えないけれど
今を生きている私たちは
少しでも歩を進めなければと思う。
自分の時が止まってあの人と再会
できるまで、恥じることがないように。



今日に限らずに
同じ時に生きている者として
私は、私たちは
心からの祈りを捧げます。

信仰を持つ人だけでなく
誰かが祈りにも似た切なる思いを抱いて
人々の悲しみが癒えることを願ったり
安寧に暮らせることを願ったり
している事実が、傷ついた人の
ささやかな慰めになれますように。

地元で斎行された
復興祈願祭に出席して
あらためて思っています。

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