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湊川の決戦~太平記~尊氏と正成
2015年10月12日 18:42
日本史の有名な戦いで最も謎めいた戦いが
「湊川の決戦」
資料、史料ががなく太平記にのみ記されている話だから
太平記は軍記物のなかでもかなり創作が入っていて事実が書かれているかどうか自体怪しい
その中でも今自分の中で結論の出ている想像の事実
湊川の決戦は南朝最大の忠臣楠木正成が負けることを覚悟して足利尊氏に挑んだ最後の戦い
史跡として今でも湊川神社があり楠木正成を祀っている
ではこの決戦はどの様なものだったのか?
教科書的には
京の都に尊氏軍を導き入れ逃げる街道をすべてふさぎ南朝方全軍で尊氏の首を取るという作戦
尊氏の首さえ取ってしまえば北朝方は総崩れするという正成の策士としての覚悟の戦
しかしその代償として京は燃えなくなってしまう
後醍醐天皇を始め公家達は折角帰れた都を戦場にしたくない
結果この作戦は拒否された
当時最大の策士であり戦上手であった正成は死ぬために戦に臨んでいる
太平記によると湊川で圧倒的な尊氏軍に孤軍奮闘し潮時を見定め正成がとある館に弟の正季はじめ一族郎党と共に自決し館に火を放つという形で終わっている
正成の顔を知っていたのは尊氏のみであった
首実検ができるのも尊氏のみ
この戦で尊氏は正成の首を取ったとしている
尊氏と正成は当に盟友戦友であった
敵として戦い見方としても一緒に戦いそれぞれの実力、人間性を深く知っている仲だったと思う
尊氏は人として鬼になれない甘い武将だった
戦はもっぱら弟の直義と足利家執事の高師直に任せていた
護良親王を切ったのも直義で尊氏はこの事を激怒した
正成はそんな尊氏を知っていた
尊氏も戦上手の正成を殺したくはない
そんななか湊川の決戦が行われた
南朝に与しないことを恐らく正成と尊氏の間で何らかの密約があったと思う
正成はそこで死にその後歴史には出てこない
しかし河内のどこかで生き延びたであろう
尊氏の恩に報い
一番謎が多い日本の古典籍ははっきり書くと
世界最古の文学といわれる
「源氏物語」
なのですが・・・第一にオリジナルのタイトルはありません
紫式部の時代なんと呼ばれていたかも定かではない
一番古い呼称は
「むらさきの物語」
このデジログへのコメント
> ローズクウォーツさん
これは僕の持論なんですけどね
尊氏は本当に武将として優しすぎます
強いていうならば器が大きいんですかね
> さ や かさん
竹取物語は没落古代氏族の末裔紀貫之の作品ですし
歴史の謎解きほど面白いミステリーはないですね
湊川神社は学生の時に行った記憶あります(*'‐'*)
> Mikanさん
生まれは関西なんですね
ん、旅行でかな?
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