- 名前
- タオ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 67歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 出会いを求めていますが、年齢を考えると、年齢差ある年上の男性に惹かれる「ファザコン」...
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死角
2015年02月20日 23:25
思わせぶりなタイトルですが w、自転車乗りの経験の話です。
いちおう自転車乗り(サイクリストなどと言いますが)なので、走るときは、基本、車道です。日本では自転車道がほとんど整備されていないので(道路巾が狭いところが多いのでやむをえないのですが)、車道を走る場合、結構車との駆け引きが必要です。走れるのは、道交法で、車道の左端ということになっています。
最近、交差点で青信号なので、そのまま直進しようとすると、後ろから来ていた車が、あまり減速せず左折しようとして危うく接触しそうになることが重なりました。
私より後ろに来ていた車なので、当然、私と自転車が見えているはずだと思うのですが、「危うく接触」が何回が重なると、どうもドライバーさんには、私がある角度に入ると見えていないのではないかと思うのです。左折する場合は、普通は横断歩道もすぐ近くにあるので、減速するのが一般ですからドライバーさんの
不注意もあるのですが、それだけではなく、前方にいる自転車や人がみえない車から見た死角があると考えざるをえません。
たぶんこれまでの事例や研究があると思うので、あとで調べてみたいのですが、ふとこの話は、人間関係にも言えるのじゃないかと思いました。
つまり人間関係でも(とりわけ男女関係では)、本人は相手が分かって当然のことと思っていることでも、実は、相手はまったく気がついていないことがたまにあるわけです。本人にすれば「こんなに当り前のことを気がつかないなんて、感覚がおかしいんじゃないの」と相手を責めたくなるわけですが、自分は相手ではなく、別の感受性を持った人間であることを考えると、相手がまったく気がつかないこともある(つまり相手の死角にはまった)と考えて、こんな場合は、責める前にちょっと立ち止まって、「えっ、それどういうこと?これが見えてなかった?」と相手の言い分も聞いてみることが必要かなと思います。言うはやすく、行うは難し、ですが(笑)
要は、同じ言葉をしゃべっていても、お互い別の人間であることをいつも頭の隅に置いて、忘れないようにしたい、ということでした(自戒)。
このデジログへのコメント
若衆50人抱える我身としては常時、この葛藤と戦い続けてますわいな
あは、なるほどw それにしても50人とは大変ですね。聞いてないと言われたり、勘違いや思い違い、感情がからむ勘ぐりなど、たぶん日々格闘だと思います。
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