- 名前
- azamino
- 性別
- ♂
- 年齢
- 65歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 特技は手相鑑定、易、タロット 手相の写真で無料鑑定してます 送付下さい 平凡な日常も...
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archerさんのウラログ 善意はある社会的諸関係において悪意になる への回答
2013年07月26日 10:52
お待たせしました、archer氏には「まず斎藤一人さんのYouTubeを聞いて欲しい」と書き込みしましたが、未だに読んだとのお返事が無いので、回答することにしました。以下は彼の私へのlogです
2013年07月20日 22:55
まず、 RyuTaとazaminoの二人と私の関係を明らかにしておく。最初に、RyuTaが、次いでazaminoが私をフレンド登録した。facebookの友達申請みたいなものだと思って、こちらもフレンド登録した。ただ、それだけの関係でしかないが、ナルチシズムをこれほど肯定する男どもにお目にかかったのは、生まれてはじめてだ。寡聞にして、私は、ナルチシズムを肯定する思想家や文学者を知らない。
私は、断言する。この二人のテクストは認識力、表現力、思想性の全てにおいて、私より下位にある。RyuTaが<自分に自信が持てない すべての人に>というスカスカのテクストで、「僕がフレンド登録しているのは現在120人。フレ登録してあるので、あなたがログを書けば、通知が僕に届きます。「私、登録されてない!」「私のログ、読んでますか!?」という人は、メールください。ただし、僕のログを全部読んでいることが前提です。」とか「まだ期限は来ていない。より的確な回答を期待する。」とほざいている。
自分の文章を全て読めだの「まだ期限は来てない」だの、この男は何者でもない癖に、自分を何者かであるかのように思い込んでいるのか、理解し難いくらい偉ぶっている。だいいち、この男が何者かであったとしても、偉ぶる理由になりはしない。この偉ぶり方には、いい歳をとっただけの、自己相対化できない、ガキに等しい底の浅い認識をもった中年男の悲哀さえ感じる。いい歳してバカなのはどうしようもないぜ。
☆azaminoの感想
先ず彼は、私とRyuTa氏の「この二人のテクストは認識力、表現力、思想性の全てにおいて、私より下位にある」と断言していますね、それは彼が思う事で第三者に向けたlogで断言するには、その根拠を示す必要があり、その事は彼も盛んに根拠を示せ、と書いています。
しかし本当にそう思うなら、あえてこのセリフは言わないものです。何故なら自分の世界、視野ものの見方すべてを暴露してしまうからです。そこに彼は気が付いて居ません。
「他人の一寸我身の一尺」と諺(ことわざ)通り自分には自分が正しく見えない、だから正直で誠意ある友人や家族の言葉は重いし、大切にしないとね。
なぜ見えないか、それは彼は自分に無意識に劣等感を持って居るからです、だからこそ他人を自分より上か下かと判断し、自分より下位だと思うと傲慢な言い方になり、言葉を荒げます。
おそらく上位に対しては卑屈になるのでしょう。自信のある人は、相手がどうであれ態度は変わらないものです。
archer氏談
次に、azaminoをとりあげる。この男のテクストを全文引用する。
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7月13日付で私宛に彼が反論を書いて居ましたのでその内容への私の反論を書きます
理由は彼が堂々と具体的に指摘せよと自信満々に公言していたからですが以下は彼のlogと()が私の反論
<「自分に自信が持てない すべての人に」について>へのコメントに対する反論
2013年07月13日 20:53
昨日の私の文章にコメントしてきた男がいる。
猪口才とはこういうヤツを指してるのだ。この猪口才な男を、私はモグラと命名した。モグラ叩きと同じで、叩くと別の場所から顔をのぞかせ、言いたいことだけ言って、地下に潜ってしまう。
(私が地下に潜る?こうして堂々と書いているのに?つまり事実を捻じ曲げて、自分の都合の良い様に相手を解釈するのは、エゴの成せる技ですね,このエゴを認識できると真の姿が見えて来ます)
私は、この男が私にとり憑くようにして、私の文章にコメントする理由がわからない。この男は、私と同じで、常識をわきまえた、そのへんを歩いているであろう、とるに足らないごく普通のおっさんだと思う。このおっさんは、「お行儀の悪い」私の文章を私そのものが、卑屈で卑屈さの裏返しとして他者に攻撃的なのだと、端から断定している。
この男のコメントを引用する。
「やはり卑屈なんだろうね ナルシズムの真意を解って居ないと思う 自分を愛せない人は他人を愛せない」
この男は、私自信が卑屈だと言いたいようだが、卑屈さを装ったレトリックも技術のうちなのだということがわかってない。というよりも、そもそも、自己表現がありのままの自己をさらけ出すものだと思い込み、疑っていないところから、錯誤がはじまっていることを自覚していない。ヘーゲルーマルクス系統のタームでいえば、表現は自己外化であり、自己疎外なんだよ。
(ここに彼の傲慢さが見えています、私がコメントする理由が解らないと今回は説明して居ますが、前回はしっかり答えていたはず、他人に傲慢な態度を取れば自分自身に返る、敬意が必要だとの私の意見に、そんな事は解っている、敬意も表している!と、しかし彼のlogはそんな書き方では無い、また私が思い込んでいると断定して居ます、これは彼の特徴で、最初は論理的なのに段々断定して、その断定を根拠にして否定します、これは自分を優位にしたいからなのです、これもエゴの仕業、謙虚な人はけして断定はしません、あくまで仮定は仮定なのです、だから彼の卑屈さが本当にレトリックなら、一つの表現として認めることは全く問題ありません、それが彼なのだから。ここで問題にしているのは、彼が他人の言葉を勝手に間違った解釈して、受け取らないと言う事なのです。)
「自分を愛せない人は他人を愛せない」そうだが、この程度のことは誰でも言えるぜ。私は言わないがね。自己愛とは、自己を愛するものは、自己を愛せるようにしか他者を愛せない、愛の限界性だという自己相対化がないのだ。
(自己を愛せるようにしか他者を愛せない?これは彼の思い込みですね、そして彼の勘違いです、愛を解って居ないと思います、真意を今一度書きます、自分自身を本当に愛している人は、他人もそのまま愛する事が出来る!です)
こんな理屈はどうでもいい。私は、好きになった人を良いところも悪いところも含めて、まるごと愛することができれば。というのが理想だ。好きになった相手ととことん付き合う覚悟がなければ辞めちゃえよ、と言いたい。自信はないが、私はそうしてきたつもりだ。だから、別れた元妻と、今年になって、二回逢った。楽しい会話をしたよ。あくまでも、元夫婦の関係でしかないけれどね。
(では何故奥様は彼と離婚したのでしょう?彼が愛していても彼女は愛さなかったのでしょうか?彼の理想では無く全てを受け入れ無かったから?私はそうは思いません、彼が自分本位で卑屈ゆえ素直に彼女の話を聞かなかったからでは無いかと思っています、彼のそのような頑固さに諦めざるを得なかったのではと
つまり彼は、真に自分自身を愛していないで、何処かで自分を否定し憎んでいるのかも知れません、子供の時の誤解で、傷ついて)
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このタイトルはazaminoという男に向けたものだ。このazaminoという男は、善良な男だと思う。この善良さは、ある条件内では悪徳とも言うべきものに反転する。こいつはそんなことに思いをいたしたことがないとみえるから、きっちり言っておく。
「思考が左脳に偏って感情を無理やり納得させた過去の心の傷かな?だから直ぐに矛盾、太れ無いのでしょ?」
これは私の文章に寄せたこの男のコメントだ。善意にもとづくこの男のおせっかいな指摘は、どう考えても言いがかりをつけているとしか受けとめられない。私がお前のテクストにこんなコメントをしたら、お前はどう思う?しかも、私のプロフィールの太れない理由を「思考が左脳に偏って、感情を無理やり納得させた過去の心の傷かな?だから直ぐに矛盾」と断定している。不思議なことに、遺伝的要素はこの男は最初から除外している。私が太れないのは遺伝的要素が大きいと思う。父も祖父も痩せていたからね。
(おっしゃる通り、私は善意で書き込みました、しかしそれが親切の押し売りや相手の望まないところまでズカズカ踏み込んでしまったのかも知れません、これは改めてお詫び致します、同時に私の至らないところでもあります。申し訳ありませんでした)
この男は、思考が左脳に偏ると、感情を無理やり納得させたことになり、それは過去の私の心の傷によるものかもしれない。と言いたいようだ。この男の見解は、最新の大脳神経学の知見に基づいていないことは、明瞭にわかる。それは大目にみておくとして、
(有り難うございます、科学的な証明ではなく多分にスピリチュアルな考察ですね)
それがなぜ過去の心の傷に結びつくのだ?この男はどうしても、私自身と過去の心的外傷を結び付けたいようだ。「つまり彼は、真に自分自身を愛していないで、何処かで自分を否定し憎んでいるのかも知れません、子供の時の誤解で、傷ついて」
(おっしゃる通りです)
この男は一体私の何を知っているのだ?不思議な男ではある。憎めないバカであるが、その善良さはある局面では悪なんだよ。わかりやすく言えば、大きなお世話なんだよ。
(その通りです)
さらに大きなお世話はこれだ。
「では何故奥様は彼と離婚したのでしょう?彼が愛していても彼女は愛さなかったのでしょうか?彼の理想では無く全てを受け入れ無かったから?私はそうは思いません、彼が自分本位で卑屈ゆえ素直に彼女の話を聞かなかったからでは無いかと思っています、彼のそのような頑固さに諦めざるを得なかったのではと」 これも推量のように読めないこともないが、ニュアンスとしては、ほぼ断定している。元極左暴力集団関係者の悪い癖で、テロってやろうかと思うくらいに、この男は、人のプライベートに踏み込み過ぎている。私達の離婚理由は、「彼が自分本位で卑屈ゆえ素直に彼女の話を聞かなかったから」ではない。知りもしない他人の離婚理由にまで踏み込み、これだけ的はずれな物言いをしているお前こそが傲慢じゃないのか?お前にはその程度の内省力もないのか?
(推量です、ご心配なく、書いた目的は思い直して欲しかったからです、批判ではありません、そう解釈されたのは私の未熟さゆえですね)
「ここに彼の傲慢さが見えています、私がコメントする理由が解らないと今回は説明して居ますが、前回はしっかり答えていたはず、他人に傲慢な態度を取れば自分自身に返る、敬意が必要だとの私の意見に、そんな事は解っている、敬意も表している!と、しかし彼のlogはそんな書き方では無い、また私が思い込んでいると断定して居ます、これは彼の特徴で、最初は論理的なのに段々断定して、その断定を根拠にして否定します、これは自分を優位にしたいからなのです、これもエゴの仕業、謙虚な人はけして断定はしません、あくまで仮定は仮定なのです、だから彼の卑屈さが本当にレトリックなら、一つの表現として認めることは全く問題ありません、それが彼なのだから。ここで問題にしているのは、彼が他人の言葉を勝手に間違った解釈して、受け取らないと言う事なのです。」
おめぇよう、人の文章、きちんと読めよ。「そんな事は解っている、敬意も表している」というのは、「現実の私は」という限定をつけてるだろうが。もう一つ言っておく、「最初は論理的なのに段々断定して、その断定を根拠にして否定します、これは自分を優位にしたいからなのです」小学生じゃああるまいし、この男には具体性の意味から教えてやんなきゃならないのか?私の文章を引用して、ここは論理的。ここからは断定。というようにやれよ。
(そう!それを今書いています)
「自分自身を本当に愛している人は、他人もそのまま愛する事が出来る!」ナルチシズムの説明はこれだけか?これがお前のいうナルチシズムのアルファであり、オメガなのか?これで相手が納得すると思うなら、この男の頭がどうかしているのだ。
(ナルシズムについての言及が全く有りませんでしたね、強いて言えば、それは貴方の力で探求して欲しかったのです)
「自分自身を本当に愛している」者とそうでない者の差異と同一性を明らかにしろよ。
(この事は又改めて.斎藤一人さんのYouTubeを聞けば直ぐに解ります)
<「自分に自信が持てない すべての人に」について>へのコメントに対する反論
azamino 2013年07月21日 02:59
少しも解って居なかったか残念,私の力不足、私の事は当たりもあり的外れもある
詳細はlogで^^v
このデジログへのコメント
> 犬ふぐり横ちんさん
これを読んで彼がまた卑屈にならないか少し心配ですが、自分以外の見方を知るきっかけにして欲しいです。すべて起きる事は必然だと、素直に感謝出来れば大丈夫です。
先ほどa氏のレスが即日アップされました
残念ながらこちらの意図を理解しようと言う意識が無い
自分の優位さに拘って居ました
伝わらないのは悲しいですね
でも私も彼と同じ様に相手をコントロールして居ました
人は誰も相手をコントロールしがち、それはエゴだしマインドですね
それでは仲々意図は伝わらない もう少し私の内側を考えて見ます
現実の彼と表現としてのarcherは別だ、と主張した彼が
離婚問題を私が憶測して書いた事が名誉毀損だどう落とし前を着けるのか!
と抗議して来たので、矛盾してる!と書いたらアク禁にされました、残念です
彼が、他人を貶(けな)したり,自分と比較したり、傲慢な態度や卑屈にならない様
その事に気が付いてくれる事を祈っています。
自分を見つめ気がつくだけで変化が起きるのです、どんな人でも人間は偉大です。
改めて読み返して、こんなこともあったのか、と。勉強のステップだったのかな。今は理屈や証明より、どうしたいか、に関心があります。arherさんは、それを私に教えて下さいましたね
改めて感謝致します。
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