- 名前
- azamino
- 性別
- ♂
- 年齢
- 65歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 特技は手相鑑定、易、タロット 手相の写真で無料鑑定してます 送付下さい 平凡な日常も...
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archer氏への反論
2013年07月16日 05:53
7月13日付で私宛に彼が反論を書いて居ましたのでその内容への私の反論を書きます
理由は彼が堂々と具体的に指摘せよと自信満々に公言していたからですが
以下は彼のlogと()が私の反論
<「自分に自信が持てない すべての人に」について>へのコメントに対する反論
2013年07月13日 20:53
昨日の私の文章にコメントしてきた男がいる。
猪口才とはこういうヤツを指してるのだ。この猪口才な男を、私はモグラと命名した。モグラ叩きと同じで、叩くと別の場所から顔をのぞかせ、言いたいことだけ言って、地下に潜ってしまう。
(私が地下に潜る?こうして堂々と書いているのに?つまり事実を捻じ曲げて、自分の都合の良い様に相手を解釈するのは、エゴの成せる技ですね,このエゴを認識できると真の姿が見えて来ます)
私は、この男が私にとり憑くようにして、私の文章にコメントする理由がわからない。この男は、私と同じで、常識をわきまえた、そのへんを歩いているであろう、とるに足らないごく普通のおっさんだと思う。このおっさんは、「お行儀の悪い」私の文章を私そのものが、卑屈で卑屈さの裏返しとして他者に攻撃的なのだと、端から断定している。
この男のコメントを引用する。
「やはり卑屈なんだろうね ナルシズムの真意を解って居ないと思う 自分を愛せない人は他人を愛せない」
この男は、私自信が卑屈だと言いたいようだが、卑屈さを装ったレトリックも技術のうちなのだということがわかってない。というよりも、そもそも、自己表現がありのままの自己をさらけ出すものだと思い込み、疑っていないところから、錯誤がはじまっていることを自覚していない。ヘーゲルーマルクス系統のタームでいえば、表現は自己外化であり、自己疎外なんだよ。
(ここに彼の傲慢さが見えています、私がコメントする理由が解らないと今回は説明して居ますが、前回はしっかり答えていたはず、他人に傲慢な態度を取れば自分自身に返る、敬意が必要だとの私の意見に、そんな事は解っている、敬意も表している!と、しかし彼のlogはそんな書き方では無い、また私が思い込んでいると断定して居ます、これは彼の特徴で、最初は論理的なのに段々断定して、その断定を根拠にして否定します、これは自分を優位にしたいからなのです、これもエゴの仕業、謙虚な人はけして断定はしません、あくまで仮定は仮定なのです、だから彼の卑屈さが本当にレトリックなら、一つの表現として認めることは全く問題ありません、それが彼なのだから。ここで問題にしているのは、彼が他人の言葉を勝手に間違った解釈して、受け取らないと言う事なのです。)
「自分を愛せない人は他人を愛せない」そうだが、この程度のことは誰でも言えるぜ。私は言わないがね。自己愛とは、自己を愛するものは、自己を愛せるようにしか他者を愛せない、愛の限界性だという自己相対化がないのだ。
(自己を愛せるようにしか他者を愛せない?これは彼の思い込みですね、そして彼の勘違いです、愛を解って居ないと思います、真意を今一度書きます、自分自身を本当に愛している人は、他人もそのまま愛する事が出来る!です)
こんな理屈はどうでもいい。私は、好きになった人を良いところも悪いところも含めて、まるごと愛することができれば。というのが理想だ。好きになった相手ととことん付き合う覚悟がなければ辞めちゃえよ、と言いたい。自信はないが、私はそうしてきたつもりだ。だから、別れた元妻と、今年になって、二回逢った。楽しい会話をしたよ。あくまでも、元夫婦の関係でしかないけれどね。
(では何故奥様は彼と離婚したのでしょう?彼が愛していても彼女は愛さなかったのでしょうか?彼の理想では無く全てを受け入れ無かったから?私はそうは思いません、彼が自分本位で卑屈ゆえ素直に彼女の話を聞かなかったからでは無いかと思っています、彼のそのような頑固さに諦めざるを得なかったのではと
つまり彼は、真に自分自身を愛していないで、何処かで自分を否定し憎んでいるのかも知れません、子供の時の誤解で、傷ついて)
azaminoです、
誰でも自己本位で自分が正しいと思っています、しかしワンマンや傲慢では真の満足は得られません、人の意見を聞き間違いを修正しながら、又は自分の目的と折り合いをつけながら考え方を改めたり気にしなくしたりして大人に成って行くのが成長なんですね、人間だけが成長進化出来ると誰かが言ってたと思いますが、如何でしょうか。
他人に見える姿は自分自身の鏡、改めて思います、怒りや不快感は自身の問題点の警鐘なのですね。
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