- 名前
- ママちゃん
- 性別
- ♀
- 年齢
- 64歳
- 住所
- 愛媛
- 自己紹介
- 母、妻、嫁、娘、仕事と 忙しく過ごしてます。少し、母の部分が楽になったかな。 最近、...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
お母ちゃん ごめんね
2011年11月24日 12:14
7年前69歳で母は他界しました。肺ガンが原因の吐血による窒息死でした。
母は本当に働きものでした。親、兄弟、の為、漁師の家に嫁いでからは、家業、義父母、夫、子供、いつも誰かの為に働き生きていたような人でした。
働き過ぎが原因で膝の関節を痛め、人口関節を入れる手術をするこてとになりました。手術を怖がり、渋る母に、車椅子生活になっちゃうよ 命を取られる病気やないんやからと説得し手術にこぎつけました。
手術前の色々な準備も終え、いよいよ明日手術という日、父から病院へ来るように連絡があり、嫌な予感がしました。予感は的中。全身麻酔のため、肺のレントゲンをとった時左肺に影が見つかったのです。内科の先生からは、高い確率で、癌だと 聞かされました。
まいりました。
これからの事、自宅から一時間程の病院を紹介されたりと先生方の話しをききながら、母を死なすわけにはいかない!と、今までにない感情が湧いてきました。そんな私とは反対に、父の落胆振りは尋常ではありませんでした。初めて父が小さくみえた瞬間でした。
母の性格から告知は絶対できない。父と主人と三人の秘密にしました。それからは大変でした。気づかれないようありとあらゆる嘘つき、演技をしました。
父は仕事一筋、家の事など全くわかりません。、私なりに、父の世話もしてたのですが、家庭や仕事ジュニアのバレーボールの練習、母の看病とめいいっぱいでした。一人っ子なので、全てが私の肩にのしかかった感じです。
我が家は非常事態宣言を発令し、主人や子供達に、義父母にも 協力をお願いしました。義父母は、遠慮せんと、ように、看てあげなさい。と言ってくれた時は、帰り道涙がとまりませんでした。本当にいい義父母に恵まれました。
そんな中、父は益々弱気になり、母のいない夜は寂しいのでしょう。理由を付けては私は呼ばれてました。
背中にサロンパスを貼ってくれと電話があった時、私もついに切れてしまいました。初めて父を叱りました。お父ちゃんがしっかりしてくれんと 困るんよ 今はとにかく、先生を信じて、お母ちゃんを元気にせなあかんやろ私もいっぱいなんよ せめて、自分で出来ることは自分でやってや娘の涙の訴えに、父も感ずるものがあったのでしょう。
それからは、炊飯器、洗濯機、レンジ、の使い方、レトルト食品、簡単な料理の作り方など、父の家事修行?がはじまりました。
母の手術の経過はよく、母の病室からは笑い声が響いてました。外科病棟ですから、色々な癌を手術した方がいらして、皆さん、悩みを話し合ったり励ましあったりしてました。癌でないと思ってる母は 根っからの世話好きもあるのか、病室のムードメーカーになってました。落ち込んでる患者さんは、母の病室に変えられるほどです。あまり賑やかで看護士さんから、叱られることもあったようです。
その後、膝の手術を受けれるほど回復し、私は仕事を辞め、昼間は父の手伝いをしながら、夜働く事にしました。
ところが、今度は、義父が血液の癌に侵されたのです。義母の献身的な看病には頭が下がる思いです。ナースコールを押すこともなく、いつも義母が寄り添い、義父も義母でなければダメなようでした。お風呂や用事のある時は交代するのですが、ほんの数時間の間でも、まだか?と義母をいつも捜してました。義父の病院は、私のバイト先の目の前だったので凄く便利でした。義父も治療、手術、入退院を繰り返しながらの五年間でした。
母が手術して四年が過ぎ、月に一度の定期検診の日、看護士さんから、メモ用紙を渡されました。先生から母の病状について相談したいとの事でした。
恐れていた、癌の転移です。手術は出来ない。母の体力を考えて、おそらく、余命半年との宣告でした。張り詰めていた糸が切れました。
これからは死に向かっての闘病になり、私も病院にいる時間も増える。内科的な治療になるなら、近くの病院に転院したほうが、何かにつけて都合がいい。ちょうど、義父も入院してた病院への、転院を決めました。
母にとっては慣れ親しんだ病院、何より絶対的に信頼してる先生と縁を切る事になります。
その日、漁から帰って来た父には、内科的な治療だけやから病院を変えてもらったとだけ告げ、本当の事は言いませんでした。今回は主人と私だけの秘密にしました。
新しい病院での入院は精神的につらそうでした。カーテンは締め切り、とても暗いんよ。とこぼしてました。内科病棟なので仕方ないのですが。
それから5ヶ月後、自宅療養中、突然吐血、あっという間の最後でした。父の抱き抱えかれて。
転院は私の都合でした。
母の為ではなかった。最後まで、元の病院にお世話になりたかっのでは。私の事を思って我慢してくれたのでは。
ずっとその事が今でも心残りです。
このデジログへのコメント
> ケン一さん
ありがとうございます。やっと本当のお墓参りができるようになりました。今では、私の癒やしスポットです。私の孫は熊本です。もうすぐ3歳。無条件にかわいい。
自分が41歳。
親や親戚や叔父、叔母みんな歳をとりいろんな事が起こってきています。
親族で頑張らねば
似た体験をしただけに…最後自宅で最愛の人に看取られたのなら、幸せな最期だったのでは?と思います
コメントを書く