- 名前
- ウィルソン・ハート
- 性別
- ♂
- 年齢
- 58歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 自分の事は自分が、一番わかってないかもしれませんw。
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【師匠せんせい】と【階段】
2011年11月11日 00:01
さて、【師匠せんせい】の会社で働く事になった僕ですが
マネキン紹介と言う仕組みから勉強しなければならなかった。
(人材派遣)と(人材紹介)は大きく違います。
詳しくは
ネットで調べてね(笑)
ただ、どちらも仕事を人に斡旋紹介することが目的である事には違いありません
まず、【師匠せんせい】から言われたのは
鹿児島市の二大デパートである
(山形屋)と(鹿児島三越)に行き、マネキンさん達の為に仕事を見つけてきて欲しいと言う事だった。
そこで、入社早々から
僕は、例の部長さんと引き継ぎも兼ねて、毎日、デパート詣でを行った。
会うのはもっぱら
デパートの売り場の
リーダー(主に女性社員)
チーフ(主に若い男性社員)係長
課長
そして、メーカーの担当者
だった。
デパートの人間に会うのは会社の名前を売る事と売り出しのイベントで、人材が要るか要らないかを探る為だ。
また、個人的にも仲良くなってマル秘の情報を得る為でもある。
正直言うと
僕はこの時期には、鹿児島で超有名人だった(笑)
それと言うのも
地方局ではあるが、テレビに、良く出ていたからだ。
同級生に、アナウンサーがたくさんいて、この同級生達に唆されて
【鹿児島の未来を担う若き経営者】と言う肩書きで、自営業時代に、多くの番組に出演していた(・_・;
そんな理由から、デパートに足を運ぶ度に、お客様や販売員、社員に指を指されたり、見てみてと囁かれたりしていた(恥)
ただ、そのお蔭で、直ぐにデパートの社員さん達、果ては、GMや社長さんまで顔は売れた。
【師匠せんせい】の会社で働いている理由を一々、説明する厄介は付きまとったが(笑)
そして、もう一つ仕事をする上で役に立ったのが
僕が高校時代から続けていた
(ラグビー)だった。
【山形屋】には、ラグビー部があり、多くの後輩が在籍していたからだ
もちろん、表向きは、仕事を頂く相手だから、後輩と言えども敬語で話をしていたが、2人きりになると、半ば、先輩の強権を発動していた(笑)
入社してから、1ヶ月経ち例の部長さんは、引き継ぎも全て終わった事で正式に退社していった。
正直、マネキンさん達からは、もの凄い不安の声が【師匠せんせい】の下に集まっていた
(若いマネージャーで大丈夫なのか?)
(部長さんが良かった)
(仕事が減るのでは?)
等々。
【師匠せんせい】は、それらの声に
(私が選んだ人だから信じなさい、間違いないから)と言ってくれていた((泣))
また、件のマネキンさん達が作っていた【互助会】の役員のベテランマネキンさん達が
(あのマネージャーさんなら、絶対大丈夫だから)と各売り場にいるマネキンさん達の下を回り、安心させてくれた(大泣)
僕は、そんな【師匠せんせい】や【マネキンさん達】の想いに応えるために
毎日、毎日、デパートを周り、朝から晩まで、各フロアの担当者詣でをした。
【師匠せんせい】からデパートに行ったときには、これだけは守りなさいと
一つだけ言われていた事があった
それは、デパートのフロア移動は【階段】を使う事。
地下から8階ぐらいまで、デパートってありますよね
大体、地下は食品で8階が催事場ですが、マネキンさん達が雇われるのは、多くは、食品と催事です(笑)
ですので、僕は毎日、地下から8階を何往復もしました(・_・;)
そんな毎日を続けていると
2つのデパートでは、知らない人がいないと言う状態と各フロアを目をつぶっても歩ける程になりました(笑)
そして
入社から半年すると
2つのデパートのマネキンが必要な仕事のほぼ8割を
【師匠せんせい】の会社が請け負うようになりました
やはりそれは
【マネキンさん達】があの悔しい想いがあり、現場で頑張って、結果(売上)を出してくれたお蔭なのです。
事務所の人間(僕達)は、ただの脇役に過ぎません。
そうして、いつの間にか
【師匠せんせい】の下に
1000人のマネキンが、集まってきたのです。
そう、最初の会社からも
多く移ってきましたが、新しい人材も集まってきたのです。
そこからが、【師匠せんせい】と僕のスタート地点でした。
【次回予告!】
【師匠せんせい】と【慇懃無礼】
こうご期待ください!(笑)
このデジログへのコメント
> ソナタさん
一応、多分4年間の出来事なんで、5話位に凝縮しようかと(笑)起こった出来事個別に書くと100話じゃ修まらないのでね(笑)
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