- 名前
- ウィルソン・ハート
- 性別
- ♂
- 年齢
- 58歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 自分の事は自分が、一番わかってないかもしれませんw。
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【師匠せんせい】
2011年11月10日 00:01
卒業した学校の先生にも
素晴らしい尊敬出来る方々
が沢山いました。
今日話をする
【師匠せんせい】は
僕が30を過ぎて出逢い
今以て、【師匠せんせい】
とお呼びしている女性です
多分、この方と出会ったのは運命だと思います。
僕の人生観を決定的に変えてくれた
素晴らしい女性です。
【師匠せんせい】と初めてお会いしたのは
僕が35歳でアパレル会社を潰した翌年でした
会社を潰したあとに、知り合いのフランス料理人の方とレストラン企画や料理メニュー開発の会社を設立したのですが
料理人の方々と意見が対立するようになり
その会社を料理人の方々に譲り、また一から何かしようと思っていたところに
父から『お前に逢いたがっている人がいる』と言われ丁度、時間もあるので逢いにいくことにしました。
その僕に逢いたいと言う人こそ【師匠せんせい】でした。
初めて逢った時に
僕が感じたのは
『この会社で働くことになるな(笑)』だった
【師匠せんせい】が経営していた会社は
『マネキン紹介会社』
でした
あのデパートで服着せてるマネキン人形とは違いますよ
同じデパートで働いていても「マネキンさん」と呼ばれる臨時雇の販売員さんの事です。
【師匠せんせい】は、初めて僕に逢った時に
『貴方の力を貸して、きっと貴方にぴったりの仕事だから、マネージャーをやって、マネキンさん達を助けてあげて』と言われました
僕は、断る理由もなく会社に入ることに決めました。
会社に入った当時には、僕の上に、部長さんと呼ばれる男性の方がいたのですが
この方は、別に自分の会社を持っていて、【師匠せんせい】の会社を暇な時に助けてあげてる状態でした
この部長さんが【師匠せんせい】の会社を辞めると言うことで、後任を探していて、僕に白羽の矢が立ったと言う訳です。
あとから聞いた話ですが
この部長さんのお母さんが【師匠せんせい】の会社のマネキンさんで働いており【師匠せんせい】が引退したら、この部長さんが社長になる話になっていたそうです。
さて、その後、【師匠せんせい】の会社でマネージャーとして、働き始めた僕でしたが、丸3年数々の出来事に遭遇することになりますw(゜o゜)w
まず、【師匠せんせい】はこの年、73歳でした。
そして、このマネキン会社は、【師匠せんせい】が、71歳の歳に設立された2つ目のマネキン会社でした。
最初に【師匠せんせい】が設立したマネキン会社は、【師匠せんせい】が50を過ぎて設立した会社だったそうです。
なぜ、【師匠せんせい】が、70を過ぎてから、2つ目のマネキン会社を設立しなければならなかったかと言うと
最初の会社を65歳の時に他県のマネキン会社に、将来を考え【師匠せんせい】は売りました。
それは、マネキンさん達を将来に渡って守ってくれるマネキンさん達に仕事を多く与えてくれるだろうと思っての決断からだったそうです。
【師匠せんせい】がマネキン会社を設立したのも、働きたくても仕事がない女性達や主婦、離婚し困っている母親、飲み屋を引退した女性達などを助けるためでした。
【師匠せんせい】は、自分の給料が無くても、マネキンさん達には辛い思いはさせないと10年、一心不乱に方々に頭を下げ、仕事を用意したそうです。
そんな【師匠せんせい】の元に、いつしか800人の女性、マネキンさんが集まり。
【師匠せんせい】の会社は全国でも有数のマネキン紹介会社になっていったそうです。
そして、先ほど話をした通り、【師匠せんせい】は、自分の歳を考え引退を決断し、他人に会社を譲ったのです。
ただ、これが、【師匠せんせい】の思いと全く違う結果になって行きました。
譲った会社の社長は熊本でやはり同じくマネキン紹介会社を大成功させてる男性でした。
この社長は、最初こそ【師匠せんせい】を会長に据えマネキンさん達にも普通に接していました。
しかしある時に、本性を現したのです!
まず、【師匠せんせい】を急に会長から外し、会社から追い出しました。
更に、【師匠せんせい】と苦楽を共にしたベテランのマネキンさん達に、仕事を紹介しなくなり、引退してくれと迫りました。
【師匠せんせい】を追い出し、僅か2年で会社は全く別物となりました。
そして決定的なことが起こります。
マネキンさん達は、いつも仕事があるわけでないので、もしも仕事がなくなったり、急に病気になったり、また冠婚葬祭も高齢者もいるためにあります。
高齢で再婚もありますし、シングルマザーの方が再婚することも、ただそんなことが急にあると大変なのでマネキンさん達は互助会を作り、積み立て金をしてました。
その積み立て金は、半端な金額ではなく何千万。
その積み立て金が、【師匠せんせい】もマネキンさん達もしらない間に、熊本の会社に移されていたのです
【師匠せんせい】やマネキンさん達は、もう抗議を社長にしましたが、社長は『会社の金をどうしようが俺の勝手』と聞き入れられませんでした。
【師匠せんせい】達は、裁判まで考えたそうですが、まだ会社に残っているマネキンさん達が、更に仕事がなくなることを恐れ、泣く泣く諦めたそうです。
そして、更に月日が経ち
【師匠せんせい】が70を目前になった時に、事態は最悪になったのでした。
【師匠せんせい】の息の掛かった反社長派のマネキンさん達には全く仕事を紹介しなくなり
社長におべんちゃらを使うマネキンさんにしか仕事がいかなくなりました。
また女性マネージャーは社長の愛人で、あの金を使い熊本に自社ビルまで建てたそうです。
そして、ついに!
反社長派のマネキンさん達は【師匠せんせい】にお願いをしました。
『もう一度会社を設立して欲しい』と。
その当時、【師匠せんせい】は亡くなった旦那様の公務員恩給と年金で暮らしている状態でした。
また、東京に住む【師匠せんせい】の息子さん、娘さんから、東京で暮らそうと打診されてたそうです。
ですが、【師匠せんせい】は、マネキンさん達を不幸にしてはいけない!
と鹿児島に残って、新たに会社を設立することを決意したのです。
そして、前の会社でクビになった事務員さんも呼び戻し、反社長派のマネキンさん達を全て前の会社から辞めさせ、また方々に【師匠せんせい】自ら出向き頭を下げ、仕事を見つけてきたそうです。
これが、【師匠せんせい】が、70にして2つ目の会社を設立するに至った経緯です。
長くなりましたので、今日はここまで
【次回予告】
【師匠せんせい】と【階段】
こうご期待ください?!(笑)
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