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リビアーその2
2011年03月03日 11:25
核開発
もともと核兵器の開発疑惑があったが、アメリカおよびイギリスとの9ヶ月にわたる秘密交渉の後、2003年12月に核兵器など大量破壊兵器開発をしていた事実を認め、即時かつ無条件の廃棄を表明、IAEAの査察も受け入れ、核兵器を全廃した。これ以降、アメリカとの半年後の国交回復など各国との関係改善が進み、2006年にテロ支援国家指定が解除された。これは核放棄の見返りを得る先例となった。
国際関係
リビアはかつて反欧米、反イスラエルのアラブ最強硬派の国家であった。1970年代や1980年代には欧米やイスラエルで数々のテロを引き起こしている(或いは過激派のテロの支援をしてきた)。このため欧米などから「テロ国家」と非難されてきた上、また核兵器の開発も秘密裏に進めていた。
1984年にはロンドンのリビア大使館員が路上で反政府デモを行っていたリビア人に大使館内から銃を発射し、デモの警備を行っていたスコットランドヤードの女性警察官のイヴォンヌ・フレッチャーが死亡。その後イギリスはリビアとの国交を断絶した。1985年にはイタリアの客船をリビア人がシージャックしユダヤ系アメリカ人人質1名を殺害、同年にトランス・ワールド航空機がハイジャックに遭い人質が殺害された上、さらに同航空機が1986年に爆破テロに遭い、アメリカ合衆国はこれらの一連のテロがリビアの政府の支援のもと行われていたと断定し、リビアの最高指導者カッザーフィーを狙って空爆(リビア爆撃)している。1988年のパンナム機爆破事件では国際連合に経済制裁を課せられてしまうなど国際社会から完全に孤立化した。
しかし近年は態度が軟化し、核開発の全面放棄やパンアメリカン航空機爆破事件の容疑者引渡しや犠牲者への補償にも、国として事件への関与を認めたものではないが、一部のリビア人公務員が起こした事件で遺憾に思うとして応じた結果国連の経済制裁は解除され、欧米との関係改善も進んでいる。この様な動きの中でアメリカはリビアを「テロ支援国家」指定から外し、その後2006年5月15日にアメリカはリビアとの国交正常化を発表した。なお、在外公館は大使館という名称を使わず、人民事務所と称しているが、アラブ圏におかれるものは「関係局 (Relations Bureau)」との名称が用いられている。日本駐在の人民事務所の長としては長らく「代理書記」(臨時代理大使相当。信任状捧呈なし)が派遣されていたが、2004年4月に「書記」(特命全権大使相当。皇居での信任状捧呈あり)が派遣された。
また、近年ではアフリカ連合の活動に積極的に参加し、アフリカ合衆国構想や汎アフリカ主義を擁護するなど、リビア外交の重点が「アラブ」から「アフリカ」に移りつつあると見る向きもある。
1974年1月にはチュニジアと共同で合邦を宣言し、アラブ・イスラム共和国(チュニジア・リビア連合)の成立を宣言したが、この連合は即座に消滅した。この後チュニジアとの関係は悪化し、1980年にチュニジアで40人以上の死者を出したガフサ事件はリビアが黒幕だったといわれている。1985年にはチュニジア国境に軍隊を集結し、チュニジアを威嚇した。
1980年にはチャドと国境紛争を行い、多大な損害を受けた。
2007年11月、リビアはアラビア語併記のないパスポート所持者の入国を拒否すると各国に伝えた。そのため、現在リビアに入国するためには、あらかじめパスポートにアラビア語併記の手続きをしておく必要がある(入国には1人当たり1000ドルの保証金が必要である)。
地理
リビアの衛星画像アフリカ大陸の北部に位置し、地中海に面している。国土の大部分がサハラ砂漠の一部であり、面積の大半を砂漠が占める。サハラ砂漠のリビア部分を特にリビア砂漠と呼ぶ。砂漠には砂丘のみならず、岩石砂漠や礫砂漠も存在する。南部には山脈が走り、トリポリ南方にはナフーサ山脈が、ベンガジ東方にはアフダル山脈が存在する。降水は北部の地中海沿岸にわずかにある。西のトリポリタニアから東のキレナイカにかけての地中海沿岸の屈曲した部分をスルト湾(シドラ湾)と呼ぶ。国土の70%は標高500m以下だが、地中海を北から南に行くほど標高は高くなり、チャドとの国境付近は標高1,000m~2,000mの高原となっている。
ケッペンの気候区分によれば、地中海沿岸の僅かな部分は地中海性気候とステップ気候に属し、気候は温暖である。しかし、沿岸部も乾燥しており、主要都市でも年間降水量は400mmを越えない。国土の大部分を占める砂漠地帯は砂漠気候であり、年間を通して乾燥している。サハラ砂漠から北に向かってギブリと呼ばれる熱風(シロッコ)が吹き出す。
主要都市
トリポリ(タラブルス、首都) -トリポリタニアの中心都 市。
シルテ -トリポリタニアの都市。トリポリから行政機関の移 転が進められている。
ミスラタ -トリポリタニアの都市。製鉄業が盛ん。
ベンガジ - キレナイカの中心都市。リビア連合王国・リビア 王国の時代には複都制が採られており、ベンガジ はトリポリと並ぶもうひとつの首都であった。
アルバイダ(ベイダ) - キレナイカの都市。リビア連合王 国・リビア王国の時代には首都の一 つとされていた。国内有数の保養地 で、サヌーシー教団の本拠地があ る。
トブルク - キレナイカの都市。第二次世界大戦における北ア フリカ戦線の激戦地として知られる。
セブハ - フェザーンの中心都市。
経済
トリポリ独立以前のリビアは農牧業を主産業とする貧しい農業国だったが、独立後の1955年から油田開発が進められ、1959年にリビアは産油国となった。王政時代はオクシデンタル・ペトロリウム社等の国際石油資本により石油開発が進められたが、1969年の革命後に石油は国有化された。リビア政府が起こしたパンナム機爆破事件により1992年から1999年まで国際連合の経済制裁が続き、リビア経済は疲弊した。近年は経済制裁の解除に伴い、一度は撤退したオクシデンタル・ペトロリウムなどの石油関連を筆頭とした外国資本が次々と流入し、それにあわせて経済状況が急激に回復してきたと言われている。
油田の多くはキレナイカに集中しており、石油の埋蔵量はアフリカ最大といわれている。輸出の大部分が石油で、貿易黒字を維持するために輸出量は調節している。リビアは石油が豊富でありながらも人口が少ないために、一人当たりのGDPはアフリカで最上位クラスの比較的裕福な国であり、先進国に並ぼうとしている。2010年のリビアの一人当たりGDPは12,062ドル(US$)であり、隣国と比べると、エジプトが2,771ドル(US$)、スーダンが1,642ドル(US$)、チャドが742ドル(US$)、ニジェールが383ドル(US$)、チュニジアが4,160ドル(US$)、アルジェリアが4,477ドル(US$)なのでその格差は歴然である。
独立以前から皮革や繊維、じゅうたん、金属細工などの軽工業が行われていた。独立後、石油収入を基盤に重工業化が進められ、石油精製、製鉄、セメント、アルミ精錬などを行う国営工場が建設されている。
国土の1.2%が耕地となっており、現在でも農業や牧畜に従事する国民も多い。地中海農業やオアシス農業が主な農法であり、1969年革命後の社会主義政権は農業の産業化に力を入れ、深層地下水をパイプラインで輸送して灌漑を進めている(リビア大人工河川)。
交通
トリポリやベンガジなど地中海沿岸の国内の主要都市を結び、チュニジア、エジプトの国境を越えて両国に続く高速道路が整備されている。地中海沿岸の都市から内陸部の都市を結ぶ道路も整備されている。
リビア航空(旧「リビアン・アラブ航空」)
ブラク航空
鉄道は、イタリア統治時代に建設されたものが一部の都市を結んでいたが、1965年までに全廃された。しかし2010年現在、全国を結ぶ鉄道網を建設する計画が進行中であり、実際に一部の区間で中国およびロシアの協力で建設が始まっている。
そのー2おわり、そのー3に続く
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