- 名前
- 月乃
- 性別
- ♂
- 年齢
- 52歳
- 住所
- 千葉
- 自己紹介
- 心理士の資格をもっています♪ついでに自動車整備士の資格、大型免許やバイク免許etc持...
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苦しみと共に生きる・・・って
2009年11月16日 06:42
心理学の勉強をしていると
あるがままの自分に気が付いて
その自分とどう折り合いをつけて
生きていくかが病気を克服する
って事と同義なんだって結論に
行き着くんだよね。
ありのままの自分・・・
けれどあまりに組織化されて
あまりに自由を奪われている
この社会で、どうやって
ありのままの姿でいられるってんだ!
って事になる。
これは実際問題、無理な話だ。
特に男はそうだ。
全ての憎しみの根源は
過去に社会規範の中での
「正しい人」を演じるために
自己を犠牲にして、本当の
自分を裏切ったために、
分裂した人から見られた時の
「いい人」を演じた事から
始まってる。
自分という存在がそのままでは
無価値で非難されるだけの自分
だから、周囲(親や社会を含めて)
から賞賛されるべき偽りの
自分像を創り上げた。
その分離が観念化して、
偽者の感情を創り上げ
それを自分自身でも気が付かずに
「自分」だと思い込んでいるという・・・
けれど社会規範がなかったら
社会が成り立たない。
人間生前説を基盤にしないと
そんな考えは成り立たない。
全ての人間が「善人」だなんて
有り得ない話だ。むしろ人間は
存在そのものが破壊者だと
考えたほうがしっくりとくる。
それほど社会が病んでいるのか、
それとも人間の本性が病んでいるのか、
そんな事は個人にはわからない。
ただ人間は、少なくとも今の社会は
自然という自然を破壊しまくってる。
「人間として良い事」が自然界にとって
良い事とは限らない。多くの場合は
その逆だろう。
男性の35歳未婚率が約50%。
諸々の事情があるにせよ、
人間存在を否定して子孫を残さない
と決めた人も少なくはないはずだ。
もちろん、子孫を残したくても
残せない自分ひとりを生かすだけで
精一杯の人も大勢いるのだけれど・・・。
自己否定を繰り返していくうちに
「今の社会」の方が狂っていると
気が付いて、ありのままの自分の
感情で生きようとすれば、即刻
社会から逸脱した「狂人」扱いされるだろう。
「正しさ」なんて人間が決めた
概念にすぎないのに、それを
自分の感情として(それを偽者だと気づかずに)
生きて生涯を終えるほうが幸せかもしれない。
ただ真の意味で感受性が豊かで、
偽善を鋭く見抜く力を持った人は、
この世の中がいかに嘘にまみれた社会なのか
という事を感じ取ってしまうし、
それが故に笑顔で近寄ってくる偽善者が
許せなくなる。
そういう人でさえ「愛」を語って
近付く人には騙されてしまう事が多い。
「愛」という綺麗な概念を高らかにうたって
その実は自己を犠牲にした代償として、
自己非難や自己否定からくる攻撃性を
正当化して、相手を支配し残虐なまでに
苦しめている行為を「真の愛情という感情」
だと押し付けてくる。
それに気が付いた時、もはや
信じるべきものが何かすら
見えなくなってしまう。
自立は孤独で苦しく、自分自身が嫌悪する
自分とも向き合っていかなければならないし、
偽りの感情を持って接してくる全ての人に
対してNOを突きつける事になる。
それでも本当の感情からくる、真の自分の
感情は欲望も同時に含んでいるから、
欲求に負けて自分を偽る必要性が
出てきてしまう。
自発的に活き活きと自分を生きて
いるのではなく、立派な周囲が望むような
人間として生きているのは、本当の意味で
生きているのではなく、そういう理想像
に当てはめさせられて「生かされている」
にすぎない。
その絶望感や空虚さに気が付いた時、
人はそのまま自分の本当の感情を
偽り続ける病理に取り付かれたまま
生きてゆく事を選択するのか、
耐え切れずに死を選ぶのかという
短絡的な思考に陥ってしまう。
最も難しいのは、無力で無能な
自分自身を受け入れて、それと共に
生きていくという事だ。そこには
苦悩と苦痛の連続があって、
絶えず自分を苦しませ続ける。
それでも生きていく。
その覚悟と潔さだけが
真の意味で正常な生き方なのだろう。
しかしその道は一生付きまとう苦悩と
対峙し続けるものだから、生半可な
覚悟では到底耐える事が出来ない。
人生の最も早期に、本来の自分の
感情のままに生きる事を(大抵の場合)
否定しなければならない事を
親から強制されて、後に社会からも
強制されて、感情の無い部分でのみ
(真の感情はその偽の生き方に
耐えられないから)観念化して、
それを本当の自分の感情と取り違えて
生きてきた人は、自分の真の感情と
社会との間の相互関係無しに
代理感情としての「道徳的で正しい自分」
という、感情の無い所で生きている。
そうして生きてきてしまった
偽りの自己を嫌悪して、同じように
生きている人々を見て、真の感情は
それを嫌悪するという二重構造に
陥ってしまう。
気が付いた時には、自分自身の
あまりの無力さや無能さ、幼さに
愕然とするから、結局それまでの
偽りの生き方に安住を求めるようになる。
言葉をたくみに操って、正当化する。
本来は外界と自分との間の相互作用で
育ってゆく感情のもつれを、他人にのみ
責任転嫁して他人だけを攻めるように
なってしまう。
自分自身が自分の感情を歪めた
共犯者である事を決して認めない。
そうして他人の感情に対して
まったく無関心で、人を道具的にしか
扱わない人間が誕生する。
その人は自分自身を裏切っている事に
気が付かないか、気が付いていても
認めようとしない。
社会的に正しいのだという誤った
信念に基づいて、究極的には
相手を殺してしまっても何の
感情も持たない人間となってしまう。
そういう諸々の事をわかった上で
立ち向かってゆく姿勢を持った人と
でなければ、真の愛情など
手に入るはずがない。
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