- 名前
- tarashi
- 性別
- ♂
- 年齢
- 57歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 外見はまじめ。60歳代だけど禿げてませんよ。小柄だけど、体力あります。性格はのんびり...
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ボヴァリー夫人 ソクーロフ監督映画
2009年10月04日 19:40
渋谷シアターイメージフォーラムで見てきました。
日曜日の10時40分上映開始のところ、10時ころに着いたのですが、すでに20人くらいの列が!
しかも、ほとんどの人が60,70歳代です。カップルの人もいます。若い人はほとんどいません!
いつから、ソクーロフは老人(失礼!)に好かれるようになったのでしょうか?
列に並びながら聞こえるのは「この映画館、駅から遠いわねえ」「何人いるのかしら」などなどの会話。10時30分ごろ開場となり、地下の映画館に入場しましたが、なんと満員に近い入りです。
で、ご老人達にはさまれたわけですが、落ち着きなく手足を動かしたり、映画の最中に近くでビニール袋をパサパサ音を出したり、上映中に席を立ってトイレに立ったり・・。
ソクーロフのえらいところは167分だった1989年度版を日本公開にあたり40分削り128分にしたのです。これって、これ以上長くなるとトイレに我慢できなくなる日本の老人のファンのため?
映画はいきなり、近所の商人ルウルーが勧めるショールを手に取り、ルウルーからもらった扇子を開き顔を隠すボヴァリー夫人エマのシーンから始まります。窓の外には水のよどみ、その水際にはさえない男が立っており、これがエマの夫シャルル・ボヴァリーであろうことがわかります。
いきなりシーンは変わって夫婦の交接のシーンです。愛情は少なくともエマの表情には感じられず、動物の交接・生殖のような上下運動が延々と続きます。
そして、二枚目の好青年レオンがいきなり、大学進学を理由に彼女のもとを去り、隣人の富豪ロドルフが下男の治療をきっかけとして彼女の肉体と精神に踏み込んできます・・・。
エマはロドルフに一緒にローマに行ってくれと懇願するものの、ロドルフは彼女を捨ててひとりでローマに行ってしまい・・・・。外科医である夫シャルルは治療(手術)に失敗し負債を負います。
そんな仕事と家庭を一生懸命守ろうとする夫を凡庸としていいのでしょうかねえ?
むしろ写実主義のためには、シャルルは必然的に妻の愛情をつなぎとめることはできないキャラクターを与えられていたのでしょう、きっと。
シャルルがふさぎこむエマのために都会のオペラ観劇につれていったりするんですから、いい夫ですよ。でもエマはそこで別れたレオンとあってしまい、以後、町の赤い部屋で二人はしのびあいをするのですが、いつの間にかルウルーへの借金に首が回らなくなり、夫にも千フランの借金の請求が・・・。
最後の葬式での樫、マホガニー、金属の三重のひつぎは滑稽なイメージをあたえます。
いや、むしろ、それ以前にも、遠近法の誇張により、エマの姿が異様に大きく描かれたり、手だけ巨大になったり(じっさいに作り物の手を使ったのでは?)・・。
わからなかったのは最後の二人の女性が額を寄せ合うシーンなのですが、あれはどういうことを暗示しているのでしょうか?
サン、牡牛座、モレク神などのソクーロフを見てきた僕には、この映画の意味がよくわからなかったと告白します。でも、美しくもない主演女優セシル・ゼルブダキをこれだけ魅力的にとれた演出の手腕には敬意を払います。
このデジログへのコメント
> のどかさん
グロテスクな遠近法、男女の生殖シーンの画質のざらつき、そして、窓のそとにひろがる風景、これこそがソクーロフ的なのかもしれません。ぜひご覧になってください。
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