- 名前
- ベソ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 64歳
- 住所
- 海外
- 自己紹介
- コミンテルンが我が国の歴史を狂わせた。中学校の歴史授業でゾルゲ事件を教えるべし。 我...
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夏の埋葬
2008年09月16日 11:46
息子が飼っていた♂のクワガタが死んだ。夏に山で捕って来て以来の息子の宝物。しかしここ数週間は他のものに関心が移り、世話も父親がしている状態。現に死んで一週間経っても気づきもしない。しかし死んだと知ったら悲しむのは当然。悩んだ末、女房とも相談して週末の朝、息子に告げた。
「クワガタが死んだぞ。もう一週間経つ」
「え、ほんと?いつ死んだの?」
「先週だ。お父さんが見つけた」
息子は明らかにショックを受けているが、すぐに立ち直った。
「マンションの植木の根元にお墓を作ってやろう。ご飯を食べたら行くぞ」
「お墓って何?」
「お墓とは、死んだ人に安らかに眠ってもらうために作るものだ。お前も墓参りをしたことがあるだろう」
息子は意味を分かりかねている様子だが、朝食後に昆虫の飼育槽とシャベルを抱え、線香とマッチを持って出かけた。
マンションなので木立も限られているが、辛うじて適当なところを見つけてシャベルで小さな穴を掘った。死後一週間のクワガタはカラダがだらんとして往時の栄光は見られない。土をかけてから線香を立て、息子と二人で冥福を祈った。
「山から連れて来られて環境が変わったろう。それが一番大きな理由だったと思う」
息子にとも自分にとも付かない調子でそんなことを言って自宅に戻った。主のいなくなった飼育槽を掃除するのは空しかった。
昔に比べるとどの家庭でも親戚の数は減っている。自分は子供時代、時として祖父母、叔父、叔母の葬式があり、「死」ということの意味を教えられたように思う。その機会が減っている今の子供達にとり、ペットが果たしてくれる最大の効用は、ひょっとしてその代わりをしてくれることなのではないか、とちょっと思った。今回の一件も、息子の中では時間をかけて消化され、「生」に対する「死」の意味を教えてくれることを願う。
それにしても♂のクワガタはカッコ良かった。結果的に私が世話をすることになったのも、自分がその姿を間近に見たかったせいかも知れない。子供時代には一通りしか熱中しなかったが、自分が大人になり改めて接してこうした虫の「ブリーディング」を趣味にする人の気持ちがちょっと分かった気がした。
このデジログへのコメント
そうですね…
死ぬのは可哀想だけど生の尊さを教えるのも大切ですね(^^)
> かなさん?さん、コメントありがとうございました。光と影、陰と陽、生と死。古来より人間は二元論を好みました。死あってこそ生の美しさが際立つのだと思います。息子は何を感じてくれたでしょうか。
> チッチさん、同感です。死んで尚飼い主の役に立つ。ペットの生とははかないものです。
> あさひさん、ありがとうございます。息子はきっと覚えていると思います。これからも時々息子と二人でお墓に行き、線香をあげますよ。
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