- 名前
- ベソ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 64歳
- 住所
- 海外
- 自己紹介
- コミンテルンが我が国の歴史を狂わせた。中学校の歴史授業でゾルゲ事件を教えるべし。 我...
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少年を卒業した日
2008年09月14日 03:00
年を取るに連れて、感動することが少なくなった。若かった頃はこのおっさんもそれなりに多感で、夕陽が綺麗だと感動し、良い音楽を聴いては感動し、アニメの一シーンにすら感動して時には涙したりしたもんです。ところが年を取るにつれ、そのような心の針の振れはどんどん少なくなって行った。今でも美しい夕陽、音楽、アニメを含む広い意味での表現、芸術作品に感激はするが、かつて程「感動メーター」の針がビーンと振り切れることがなくなった。落ち着いたといえばそうなのかも知れないが、本人としては「感動」の元になる「心のヒダ」が擦り切れてきたんだろうな、と感じる。昔はその「ヒダ」が敏感で、いろんなことに反応しては右にそよぎ、左にそよぎして「感動シグナル」を私の感情に送り込んでくれた。今はもう、滅多に届かない私の「心のヒダ」からの「感動シグナル」。届いたとしてもその量は乏しく、また質も昔ほど純粋でないように思う。
これは仏教の教えでいう「解脱」に近づいたということなんだろうか? とちょっと思ったりするが、こんなサイトに書き込みをしているおっさんが「解脱」を云々すること自体が笑止であることは自明。人に話し聞いて欲しくてこんなログ書いてるおっさんが「解脱」を語るとはねえ。そりゃあなた中国共産党が「人権」を語るようなもんですよ。お笑いの類。
とここまで書いて、案外そうでもないな、と思うに至った。今でも私は良く感動します。我が子の成長に関して、特にそう。ただ、昔ほど「感動メーター」が振り切れることはなくなった。メーターは振れるが、その振幅が小さくなった、と思う。そしてメーターが振れるその対象が減った。これは大幅に。今の私が感動するのは先に挙げた我が子の成長を除けば、友人関係、親子関係等・・・あら、何か対人関係ばかりじゃんか。しかし告白しますが、私は先日靖国神社に参拝した際、遊就館の展示を見て泣きました。出征兵士たちが家族に宛てた手紙を読んで、涙を抑えられなかった。昔の日本人には自らの命を以って守るものが当然のようにあった、という事実を突きつけられ、泣かずにおられなかった。これはまた別の機会に。
という訳で私は思わぬところで泣いたりすることは稀にあっても、「少年」と呼ばれた頃に比べると「感動」する「機会」も「振幅」も大変に減りました。これはやはり落ち着いてきた、ということなのか。無駄に感情エネルギーを燃焼させずに済むのでそれは楽といえば楽だが、色んなことに感動できた若かった頃はやはり貴重だったな、と思う今日この頃。
これが少年を卒業する、ということなのでしょうか。だとすると、これからそうした多感な少年時代を迎えようとしている息子に、かつてその時代を経て来た者としてアドバイスすることを心がけなければ。偉そうに、上から目線で、さもつまらないことのように息子の感情、感傷を片付けることのないように自戒します。それが出来ることが、自分が少年時代を卒業したことの、証なのかも知れません。
このデジログへのコメント
悲しい事でしょうか…?
それがあるから、今のベソさんがいるのでしょう?
充分多感だと思いますよw
> かなさん?さん コメントありがとうございます。かなさん?のログ、読ませていただきましたよ。日々の戦いのご様子、リアルに記録されていてグッと来ました。それに比べれば私など単なる脳内ゲーム男です。
> チッチさん、コメントありがとうございます。靖国神社は大変スピリチュアルな場所です。今度帰省なさった時、良ければ一緒に行きましょう。都営新宿線、東西線の九段下駅から歩いてすぐですよ。
> は、か、た、の、塩!さん
靖国神社には今でも、上京した折に時間があれば参拝するようにしています。
鎮魂のためですね。
わしには心落ち着くスピリチュアルな場所です。
感動の幅の減りというのが貴方自身の経験値の潤沢さと反比例しているような。。
そして悉くはむかいますが、少年はきっと永遠よ(笑)
心の何処かに「彼」は在る。私が男性を羨ましいと想うのがココです(^_^)
> ヤヨイさん
コメントありがとうございます。貴女はほんまに優しい方ですね。言われて考えてみましたが、この駄文を書いて皆様のお目汚しになってからの十年でわしの心のヒダは益々乾き、枯れ、ひび割れ、
> ヤヨイさん
結果として「感動」の「頻度」も「振幅」も潮が退くように益々遠退き、僅かに残っていたかも知れない目の輝きはとうに失せ、汗を流すことも声を荒げることも減り、花の香も珈琲の香りも以前ほど
> ヤヨイさん
響かず、美しい風景も生き物の姿も子供の笑顔も以前のように心を揺さぶらない。
これが歳を取るということなのか、と感じます。
しかし、ええんですよ。
> ヤヨイさん
そうしたことを失った代わりに得たものがあります。
昔は分からなかった人の心の動きを少しでも感じるようになり、見知らぬ人のニュースでもその痛みをまざまざと感じ涙が出て出そうになること
> ヤヨイさん
もあります。
以前ならどうでも良い、としか思えなかったであろうことに異様に腹が立ち、何とかしてこの現状を改善する方策はないか、自分には何が出来るか考えたりします。
> ヤヨイさん
つまり歳を取るということは、感性のベクトルの向きが少しずつ変わることではないか、と思う次第
心の何処にももう「彼」はいません。
しかし、その足跡は未だ残っている。そう感じます。
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