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<愛の賛歌>

2007年09月08日 12:53

♪あなた~の燃える手で~♪
私~を抱きしめて~♪


いあいあ越路吹雪ではなく。


昨日に引き続き、「愛」をテーマに。

(え?表で十分じゃないか?ごもっともですが。表は表で書くことがあるかと思いw)


コリント人への手紙 第13章
これは別名<愛の賛歌>と言われ、結婚式などで引用される言葉だそうです。
私はこの言葉が高校パンフレットに掲載されており、これを読んで進学をしました(照)

*******************************抜粋***************************
1304> 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、
1305> 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
1306> 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
1307> そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
**************************************************************

いい言葉ですが、人間なかなかそこまでできません。
だから人間は「神」になれないんでしょうねw

「愛」にも種類がたくさんあります。
母性愛」「友愛」「家族愛」「博愛」・・・・・・
母性愛」「家族愛」に関しては、日頃同じ屋根の下で暮らしている一種の運命共同体(ふるっ!)ですから、わかる気がしますが、人様に対しての「愛」はどこまでできるのだろうか。とつくづく考えさせられます。

生まれてこの方、「裏切り」にあっていない人はもしかしたらできるかもしれません。
しかし、一度でも「裏切り」にあい、痛い目を負った人は、猜疑心という醜い心がどうしても先行してしまいます。

「うまいことをいって、本当は裏切るつもりではないだろうか」など。
それまでの経験上、素直に受け入れられないこともあると思います。

手放しで相手を信じ切って、あっさりと「裏切られた」日には、我が身のふがいなさと情けなさ、自己嫌悪に陥ります。
体調を崩して、叫びまわっても、裏切った人間にはとどきません。
届いたところで、人ごとです。
すべて自分自身が解決し、その壁を乗り越えなくてはいけません。

私自身、無宗教者ですが、キリスト教に限らず、宗教のお言葉には
深く考えさせられる文章があります。

よく、「裏切る」より「裏切られる」ほうが気が楽だ。と言います。
確かにそうかもしれません。
しかし、「裏切られた」人は、心から傷つくのです。

これから先、私自身、どっちの立場にもならないように人生を生きていきたいと思います。







あら・・・。
すんごく堅苦しいログになってしまいましたね。


たまにはまじめなことも書くということをアピールしたかったのかな?(爆)

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