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趣味は読書、承認欲求

2022年06月17日 01:21

ここだけでなく、幾つか違う所にも文章を書いている。
 TwitterInstagramやTikTokはやっていない。
 ここでのログもほとんど読まれないし、他の所も似たようなもの。
 たまに「いいね!」をくれる奇特な人がいるのだが、せいぜい3人くらいである。
 僕自身はひどい話だが、ほとんど「いいね!」をしたことがない。
 世の中には「いいね!」を生きがいにしている人が、結構いるようである。
 YouTubeで生活している人などは、特にそうだろう。
 極端になると、内容など見なくても、ただ「いいね!」をくれたりフォロワーになってくれれば良いと考えている人もいるのだろう。
 承認欲求という言葉を、最近よく耳にするようになった。
 誰かに認めてもらっているという証が欲しいということなのだが、それはもしかしたらエゴなのかもしれない。 
 エゴは、悪いことではなく、人間の持っている当たり前のものだと思う。
 こんなことを書いていて、二つばかり思い出したことがある。
 「沢木興道書き書き」という本の中で、訪れる人もない破れ寺で、毎日毎日座禅を組み、この世で座禅を組むのは自分一人しかいないと思い、このまま座禅を組んで死んでしまおうとさえ思ったという部分がある。
 座禅自体が、決して生産的な行為ではなく、外見的にはただ座っているだけである。それをやり続けても、誰かが幸せになるわけでもない。
 それでも、一人座禅を組むという覚悟である。
 承認欲求とは、対極なものだと思う。
 もう一つは、誰もいない山の中で、木が倒れた時、それを見た人がいなければ、木が倒れたという事実は存在しないという話。
 確認する人がいなければ、(証拠が無ければ)それは存在しないという論理。
 もちろん、見た人がいなければ、憶測や想像しかないが、誰も見ていなくても、その時木が倒れたことは事実だし、それは認識されようとされまいと変わらないと思う。
 承認欲求が満たされないのは、とても寂しいものであるが、少なくとも自分だけは、自分を認識しているし、もしかしたら自分を本当に分かるのは自分だけかもしれないので、他人に認めらなくても、自画自賛で生きていれば良いと思うのだ。
 だいぶ屁理屈っぽくなってしまった。

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