- 名前
- ぱすかる
- 性別
- ♂
- 年齢
- 73歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- おまんこは神の秘術
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行かな
2018年07月12日 08:27
「あの日」、たくさんのゴムボートが命を救った。
西日本を襲った豪雨により大規模に冠水し、48人が犠牲となった岡山県倉敷市真備(まび)町。
その中で、
自衛隊員でも消防隊員でもない男性が、ひとりでも多く助けようと、力尽きるまでこぎ続けていた。
「生きとったんじゃな」
倉敷市真備町箭田(やた)の会社員、野村浩史さん(31)は病院で目覚めた瞬間、こう思ったという。体力が回復した10日午後、退院した。
野村さんは豪雨が降り続いていた6日夜、自宅に父真示さん(58)、母裕美子さん(57)といっしょにいた。同午後10時ごろ、真備町地区に避難勧告が発令されたことから、
「車がやられたらどうにもならん」
と先に高台の公園に避難。車内でサッカー・ワールドカップの中継を見ていた。
状況が急変したのは7日午前1時ごろ、まだ自宅にいた裕美子さんから、
「(水が家の車の)ボンネットまできた、もうダメじゃ」。
2時間後には「肩まで(水が)きた」とLINE(ライン)でメッセージが届いた。
「行かな」
夜が明けると車に積んでいた釣り用のゴムボートに空気を入れ、
午前8時に車で自宅近くの土手へ。
だがそこでは、一変した街の光景が広がっていた。
「まさかこんなことに……」
雨が降り続く中、ボートで必死に300メートル先の自宅を目指した。
裕美子さんは一足先に市のボートに助けられていたが、
周囲を見渡すと、大勢の人が取り残されていた。
ベランダで胸まで水につかったおじいさん、
屋根の上でタオルを振る知人、
小さな子どもの姿も。
「屋根まで上って待っとって! またすぐ来る」
と声をかけ、
順番にボートに乗せ始めた。
定員3人。
片道10分以上かかる土手までの道のりを何度も往復しながら、
動画をSNSに投稿し、知人に応援を求めた。
目の高さにある電線をくぐり、クギが刺さったがれきを避けて進む。
何度も屋根瓦にあたり、ボートに穴が開いたらどうしようと不安がよぎったが、
それ以上にさっき無事だった人に万が一のことがあれば、という思いが勝り、
オールをこぐ手が止まらなかった。
救助活動を4時間ほど続けた昼ごろ、手がしびれ始めた。
前日から何も食べず、飲み物もほぼない。
脱水症状と疲労でろれつが回らなくなり、倒れた。
20人ほど助けたが、
「まだ残ってる」「行かないと」と口にし続けたという。
その様子を見た友人らがボートを受け継ぎ、午後7時ごろまで救助活動を続けた。
すんでのところで救助された男性(69)は、
「あそこから20分ももたなかっただろう。本当にありがたかった」と振り返る。
野村さんは熊本地震でボランティア活動をし、水や土砂の怖さはわかっていたつもりだった。
命は助かったが、「二次災害になってしまった」と反省する。
それでも、
「一人でも多くの人が助かったなら、本当によかった」とも思う。
真備町地区では7日、ゴムボートで救助にあたった住民らが、ほかにも複数いたという。(多鹿ちなみ)
このウラログへのコメント
消防士でも自衛隊でもない、そういう人が自ら救助に向かう姿はなんとも勇敢で素敵です。
勇気に感謝します。
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