- 名前
- 深山柊
- 性別
- ♂
- 年齢
- 54歳
- 住所
- 京都
- 自己紹介
- デジで出会った可愛いひよっこMさんとお付き合いすることになりました。 なので、デジで...
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先天的か後天的か
2018年03月05日 17:46
先日、二度目のデートでした。
初めて会った前回は三晩続けて会うことが出来たので、会った回数で言えば4回目ですね。
会うたびに、この子は真性のM女なのだな…と痛感しています。
私と出会うまでほとんどSMの経験も知識も無いのに、ご奉仕をすること。身体とこころを所有・支配されていることを実感する・させられること。主人を悦ばせること。主人に跡を着けられ、汚されること。
その全てに、強い悦楽を覚え、身体が反応するのです。
今まで、いろいろなM女さんと関わって来ました。
主従まで結ばせていただいたのはほんの数人ですが、チャットなどで長い期間お話していたり、一緒に飲みに行ってその子の主人の愚痴を聞いたりと、身体は合わせずともその子の性癖について深く理解した人はたくさんいます。
何しろ、SMに目覚めたのはもう20年以上前なのですから。
その中で、M傾向の性癖を持つ女性か多くが、何らかの欠損を持っていることが多いと感じていました。
家庭環境であったり、ある種のエディプスコンプレックス(フロイト派がいうそれよりも、単純に日本で理解されているファーザーコンプレックスである場合の方が多いかもしれません)であったり、幼少期の性的虐待であったり。
それらによって、性的なものに嫌悪感や罪悪感を持つと、いざ自分が愛欲や性欲に目覚めた時にそれらと戦わねばなりません。
それを克服するために、あえて自分のなかの性欲のはしたなさを指摘される羞恥プレイや、痛みや被虐による罰を与えられて赦しを得る苦痛系プレイ、また拘束等の支配により諦めの境地を得る拘束プレイなどが必要になるのではないかと感じるようになりました。
それらのプレイは、それによって悦楽を得るためのものではなく、男を求めること、身体への快楽を愉しむこと、セックスをすることへの抵抗を取り去るためのツールでしか無いのではないか、と。
身体の自由を奪われ、苦しめられることでようやくこころを自由にして、性感に溺れることへのリミッターが外れる女性が、Mと見なされたり自覚されている女性の中に多くおられると感じています。
うちの子のように、見るからに疵がないのに真性のMさんもいるので一概には言えませんが、ツールとしてSMが必要な女性はただの行為でしかないSMでは満たされない場合も多いと思います。
では何が必要なのか?
もうそれは凍ったこころを溶かす真実の愛、無償の愛でしかないんですよね。
ああまた話がややこしくなりました。
このあたりはもう少しきちんと心理学も調べて検証したいと考えております。
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