- 名前
- イチゴちゃん
- 性別
- ♀
- 年齢
- 43歳
- 住所
- 茨城
- 自己紹介
- 嫌がらせを受けていたのでコメント返しませんが それでもいいという方仲良くしてください...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
同僚シンディー
2016年12月05日 10:43
日曜は珍しく、少し遅めに起きました
寒かったのも手伝い、いつもは4時起床が6時起床
お散歩ものんびりした感じで、ドリンクスタンドのおじさんが帰り支度をしている最中
ミルクたっぷりのコーヒーを注文し、のんびり朝を満喫しました
朝食を作り、愛犬とのんびりしながらお洗濯していると
電話に着信が
発信元は、お局様
「日曜はいかがお過ごしの予定なの?
予定がないなら、一緒にランチとティーをいかがかしら?
経理のシンディー(中国系の同僚)も一緒なのよ」
と、ティータイムのお誘いを受けました
お隣さんとそのお友達とは、何度かお茶をしましたが
同僚とかしこまってお茶するのは初めて
「こういうときは、何を持参するのが礼儀なの?」と尋ねると
「ホスト(招待主)が準備するから、笑顔だけでいいのよ」と言われました
ですが、私は日本人
お茶菓子を持っていって濁すことはいたしませんが
夕飯にでも食べてくれたらいいなと、地元の商店街の美味しいパンを持っていくことに
キャリーバッグに愛犬をしのばせ、電車を乗り継ぎ
お局様が指定した駅で降車
立ち尽くすこと2.3分
同僚のシンディーがお迎えに来てくれました
お局様とシンディーは、同じアパートにお部屋を借りているそうで
シンディーのすぐ上に、お局様が住んでいるという
何とも公私を隔てず仲が良い2人
シンディーは私の1つ上で、アジアなのにものすごく足が長いという
一見するとスーパーモデルのような体つき
私と並ぶと、私の足の短さが際立ちます
5分ほど歩き、お局様のアパートに到着すると
「いらっしゃい、よく来てくれたわね」のご挨拶と、英国式の優しいハグに始まり
早速座席に座るよう、促されました
花が飾り付けられたテーブルに、ランチョンマットとフォーク・スプーン
程なくして、焼きたてのクッキー(こちらでは、厚さによってビスケットと言うそうです)が取り分けられ
おしゃれなカップに紅茶を注いでくれました
マナーはお隣さんから教わっていたので、心配なし
さりげなくテーブルに置かれた蜂蜜が、百花はちみつ「MADE IN JAPAN」でした
お局様はとにかく日本好き
そして、シンディーも日本好き
シンディーが唯一行った事のある海外が、日本だそうです
(これには経緯があるので、順を追って話します)
お茶をしながら、お洒落な服の話
美味しいレストランを見つけた、公園で本を読んだ
運動していたら、素敵な紳士に話しかけられたなどなど
日本の女性と話すことは同じ
どこの国でも、話題は美容と異性ですね
時間もお昼に差し掛かり、3人でお昼の準備をすることに
夜にどこかお洒落なお店でくつろぐから、お昼は簡単に済ませようと
買ってきたパンを主食に、スープを作りました
2人とも手際よく、背中を見ているとまるで親子のよう
息のとれた掛け合いに作業の流れ
仲がいいのも頷けます
お昼を食べ、音楽を流しながら聞いたのは
シンディーがなぜ、イギリスにいるのかというお話
私も初めて知ったのですが、
彼女は中国の「国の片隅に残された無国籍、無戸籍者」でした
中国では人口過多に対する「一人っ子政策」がとられ
彼女の家では、彼女のほかに兄や妹が多数いたそうですが
戸籍を持つのは一番上の兄ただ一人
妹も弟も、もちろん自分も戸籍がなく
学校さえ通えなかったそうです
黒該子(ヘイハイツー、ヘイハイズ)と呼ばれるらしく
行く末はただただ、安く雇われて一生を暮らすか
はたまた金持ちに買われ(人身売買として)奴隷のように暮らすか
美貌があれば、性奴隷として政府高官に囲われるのが道筋だそうです
兄は学校へ通い、着実に親に大事にされる中
自分と弟はクズ鉄を集めたり、都市部からたまに観光で訪れる人たちに物乞いをしたりして
家計を助けるのが当たり前だったそうです。
青海省というところの、小さな村で生まれ育ったそうで
妹は近所の金持ちに見初められ、11歳を待たずして丁稚奉公(聞こえはマシですが、実際はロリコンの餌食だそう)
弟はクズ鉄を拾っているときに、シンディーの目の前で牛車に轢かれて亡くなったそうです。
家に残ったのが両親と自分だけのため、弟の分も働き口を増やさねばならず
畑の手伝い、車の盗難、火事現場や事故現場からの略奪など
良い・悪いの教育すら受けていないので
周りの大人がやることは、自分もやることとしか認識してないと語ってくれました。
そんな中、シンディーが18歳のとき
丁稚奉公へ行ったはずの娘が、怪我だらけで帰ってきたそうです。
聞くと、(奉公先で幼い子が新しく入ったので、自分は捨てられた)と
涙ながらに語りながら、その後妹は息を引き取ったと
泣きながらシンディーは話してくれました。
戸籍が無い妹の葬儀など出来もせず
庭先に遺体を埋めて、それをお葬式としたそうです。
その際、シンディーの両親は
「ああ、これで金持ちから入る収入が無くなった」と嘆き
妹が死んだことはまったく悲しまなかったと言ってました。
このことをきっかけに、両親から逃れるべく
彼女は妹を埋葬したその足で、村を出ようと決意し決行
道も知らず、車が通るたびに隠れ(村を逃げ出すことは、シンディーの村では重罪だそうです)
気づいたらおよそ1年、彷徨いに彷徨った挙句
ロシアのある町で物乞いをしていたとき、旅行中だった現在のオフィスのボスと副ボスにたまたま出会い
その場で保護され、大学でチベット語の先生が通訳し現状をボスと副ボスに語ってくれたと
嬉しそうに語ってくれました。
彼女は自分が話している言葉が、それまで「何語」かというのもわかっておらず
外見がアジアで、近くのアジアの国はモンゴルだからと
モンゴルの先生を呼んだが言葉が通じず
北京語の通訳を頼んだが、シンディーの訛りが強すぎて通じず
唯一普通に話せる言葉がチベット語だというのを、北京語の通訳が見抜き(チベット語も少しわかるそう)
後に「自分は漢語(北京語と絶対にシンディーは言いません)とチベット語を話せる」と認識したそうです。
ちょうど法学の道に進んでいたボス達に出会えたことは、シンディーの人生で一番救われたことだと
とても嬉しそうに語ってくれました。
そのまま、不法入国ということで収監され
約2ヶ月ほど、牢の中で生活をし
たびたび訪れるボス達と通訳を介し話をし
幾多もの諸手続きをして、今日にいたるわけだそうです
ちなみに、ボスと出会ったときの自分の財産は
妹が奉公先で貰った、指輪つきの「妹の左手」だけだったそうで
埋葬する際に、村を出たがっていた妹の想いを叶えてあげたいと
泣きながら切断したんだそうです。
もちろんシンディーには、中国で名前はあったそうですが
字も書けない上に、こんな仕打ちを妹にした両親や国を許せないと
中国という国に反旗を掲げるべく、名前その他一切を捨て
自分を助けてくれ、妹の遺体の一部を丁寧に埋葬してくれたイギリスに忠義を尽くすべく
英国人シンディーとして生きていく決心をし
ボスや副ボスに支えられ、20歳のときに小学校から学校を通いなおし
22歳で小学校卒業、23歳で中学校、25歳で高校、そして28歳で大学修了と
目まぐるしいほどのスピードで英語とその他勉強を完了させたというツワモノ
その間、生活はボスを介して国に頼るしかなく
中学課程完了時には、「就業可能」と国に認定されてからは助成を打ち切られ
その後の生活を、弁護士になって事務所を開設していたボス達が援助し
生活の基盤は、お局様(すでに当時、お局様はボスの事務所で働いていたそうです)が手伝い
大学卒業後はボス達に絶対の忠誠を誓う、情に厚い英国中華となり
事務所でバリバリ経理その他を取り仕切る絶対的存在となりえた、と
ものすごく明るい笑顔で話してくれました。
彼女は両親に恨みも持っているし、妹を殺した金持ちも許せないし
妹に乱暴した周りの人間も許せない(妹が逃げ出してきた際、複数の使用人に乱暴されたことを泣きながら語り
自分は乱暴されて不浄だから浄土(天国)に行けない、申し訳ないと何度もシンディーに謝って息を引き取ったそうです)
だから、イギリスに来る中国人も嫌い
イギリス人に売春する中国人はもっと嫌い
と、いつも母国人を嫌う言動をする理由が、やっとわかりました。
暇さえあれば「鉄を拾って(時には盗んで)金を稼いで来い」と言う両親と違い
言葉のわからないシンディーに子供用の絵本を読み聞かし(英語はイギリスに来てから学んだそうです)
美味しい料理を作ってくれ、マナーを教え
恥じることなく一緒に映画館やお買い物に行ってくれたお局様がシンディーは心から大好きで
シンディー「両親が死んだって涙も流さないけど、ママ(お局様のこと)が亡くなったら私は心臓が止まるわ」
と言ってのけるほど、お局様が絶対の存在です。
長くなったので、続きは起きたら
ちなみに、写真は足の長いシンディー
このウラログへのコメント
イチゴさんのボス器でかいね。
中国で生きていくのは大変なのよと中国の飲み屋のお姉さんに聞いたけど、その一端を見た気がします。その子も養子に出されようとしたけどお母さんが取り戻したとか…
なんとも壮絶な生い立ち。
イチゴちゃんの半生読んで以来の悲惨さですね。そんな二人が、異国の地で出会って仲良しになる。運命を感じますね~
コメントを書く