- 名前
- yano
- 性別
- ♂
- 年齢
- 55歳
- 住所
- 埼玉
- 自己紹介
- 特になし
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ゴダールの映画「アワーミュージック」のこと。
2006年10月13日 11:29
やっと「アワーミュージック」を見る。
素晴らしい。
民族紛争の地、ユーゴのサラエボに訪れたゴダールが、様々な民族、宗教、思想、言語を持つ人々と話す。
立場が違えば、それぞれの考えがあるが、大きな声で語った者のほうが広範囲に知れ渡り、認識される。
民族浄化という蛮行。異常性。
「人道的といわれる人達は、何故革命を起こさないのかしら?」
「革命が人道的な行為ではないからさ。彼らが造るのは、図書館と・・・・」
「墓地だ」(映画の中で語られる会話)
物語は一人の学生が、パレスチナの正義、イスラエルの正義の中で、ある行為をして終わる。
正義の戦争はない。
考えが違ったとしても、銃弾を打ち込む正義はない。
僕はよく考える。
銃弾について。
あんな固い大きな金属を、相手にぶつけたら痛いだろう。
あんなものが体にめり込み、えぐるのだ。死人に口無しというが、痛くないわけが無い。顔なんかに当たるのは考えたくもないくらい怖い。
それを嬉々として撃ち合う戦争がまともなわけがない。
「努めて物をよく見よ。努めてものを想像せよ」
一方の正義と、一方の正義は、隣に並べ合わせてはじめて理解されるものだろう。
破壊された街のなか、市電が走っていく。雪が舞い始めている。そんな映像が何よりも語っていると思う。
ゴダールって難しい、とか、実験的とか言われるけど、ごく基本的に語るべきことを、普通に語るべき方法で語っているだけなのがよくわかる。
僕の中に言葉が出てくる。
ご覧、この世界を。
これが天国に見えるかい?
僕らはこんな煉獄で生きるしかないんだよ。
詳しくはhttp://www.godard.jp/
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