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ちょっと泣いてた

2012年05月14日 21:41

ちょっと泣いてた

離れゆく寂しさは言葉になりませんが、温もり溢れる夫ですので、彼方からも見守ってくれると信じ、逝く背中を見送ります






久しぶりに見る叔母の横顔は

まるで飼い主の帰りを待つ猫の様



64

1つ役目を果たし

これからというところだろう



特に仲が良かったわけではないが

やはりこういう場は慣れない

耐えきれずポケットのハンカチを取り出す



顔をしわくちゃにする母を見ると

あぁ遺伝なんだなと思う






久しぶりに会う面々は

自分と同じ速さの時間を過ごし

ある者は顔にしわを刻み

ある者はすくすくと身長を伸ばし

ある者は一輪の花が如く凛とした出で立ちになり

ある者は側に寄り添う人を連れ

ある者は新たな命を宿す



本人達にとっては毎日向き合う自分の体でも

前回から数年時間を飛ばして再開する私にとって

まるで浦島太郎になったかのような気分だ






献杯と精進落としを済ませ

会場を後にしようとした時

残された御家族と挨拶をした






○○くん、今日は遠いところ本当にありがとうね






アラ○○、痩せた? これからも頑張ってね






おっ○○ちゃん、たまにはオヤジに酌してやんなよ♪






逆にこちらが励まされてしまった

もう既に覚悟を決めていたのだろうか

女々しくしている人はいなかった



とは思う






夫を見つめ続ける妻のその姿は

色々考えさせられるものがある



震災で数万人が亡くなったと

ひとくくりに報道されても

やはり当人達それぞれにとって

1人が亡くなったことが

数万件同時に起きてしまっただけなのだ

1億数千万分の1でも

1が0になる事の意味は計り知れないものがある






叔父にとって

64年とは何だったのだろうか

叔母にとって

叔父との数十年とは何だったのだろうか









滅ぶとわかっていて なぜつくる

死ぬとわかっていて なぜ生きようとする

死ねばすべて無になってしまうのに









在りし日の自分が蘇る









守るべきものがあるから



生きてる間に

その意味を見つけられれば

それでいいでしょう?









確かにそうなのかも知れない

自分が今此処に居る意味

30年を費やして歩んで来た道

まだ分からない事が沢山ある

まだやらなきゃいけない事だって

沢山眠ったままの筈なんだ






親に貰ったこの体

もっと大切に扱わなければ



死に場所を見つけられる

その日まで









命──



夢──



希望──



どこから来て どこへ行く?









参考動画
http://nicovideo.jp/watch/sm5857645
3分~6分辺り

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