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トルコの大地震!

2011年11月01日 18:30

タイ、カンボジアミャンマーラオスベトナムの洪水。

トルコ大地震


両方多くの死者が出て大変です。



タイやミャンマー親日の国として有名だけど、中でもトルコは大の親日の国として有名です。




親日だろうが反日だろうが命の重さには代わりがないのは違いないのですが、

東日本大震災の時に台湾義援金が200億円を超えたと聞いたとき、やはり親日の国に対しての暖かい感情が高まったのは確かです。





特にトルコ昭和60年イラク戦争の時、多くの日本人の命を救ってくれています。



当時のイラク大統領サダム・フセイン

「今から四〇時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機をすべて打ち落とす」と宣言します。
3月17日のことです。


イランに住んでいた日本人は、慌ててテヘラン空港に向かおうとしたのだけれど、緊急事態です。
どの飛行機満席で乗ることができません。

世界各国は自国民の救出をするために救援機を出したのだけれど、残念ながら日本政府はすばやい決定ができなかった。




自衛隊機の出動は、海外への派兵は憲法違反にあたると、当時日本の最大野党であった社会党(いまの社民党民主党)が猛反対したのです。



民間では、政府系航空会社である日本航空社内で、共産党社会党系の乗員組合が、運行を拒否を宣言する。



民主党にも自衛隊暴力装置と言った人がいるけど、
自衛隊を否定したい人達は目的の為なら人の命なんてどうでもいいんでしょうね。




そして、日本人だけがテヘランに取り残された。
宣言の刻限は、刻々と迫ってきます。

空港にいた日本人は、パニックに陥る。






そのとき、一機のトルコ航空の飛行機が到着します。
(1機では積みきれず、後にもう1機)
※ちなみにトルコ人が乗る所にも日本人が乗ったので、乗れなかったトルコ人は陸路で帰国しています。





トルコ航空の飛行機は、日本人216名全員を乗せて、成田に向かって飛び立った。







タイムリミットまで、わずか1時間15分前のできごとでした。








このとき、なぜトルコ航空機が来てくれたのか、日本政府マスコミも知らなかったのです。


日本のマスコミはこの時、「トルコは日本の金が目当てでトルコ飛行機を出した」みたいな失礼な事を沢山報道していました。



前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は次のように語っています。

「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。
トルコでは、子どもたちさえ、エルトゥールル号のことを知っています。
今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」



僕は和歌山出身だからエルトゥールル号遭難事故は知っています。

この件でテレビでも放送されたので、今や多くの日本人もエルトゥールル号のことを知っていますが、日本とトルコは140年前からの付き合いです。



140年前に日本の和歌山の人達がトルコの船が難破したのを助けたことをトルコの人達は覚えて居ていてくれたのです。




日本人ですらほとんど知らない出来事を、トルコの人達は教科書に載せて100年以上も語りついでくれていたのです。




日本は今回東日本大震災で世界各国に受けた恩をどれだけの人が把握しているでしょうか。


人口が2300万人しかいない台湾からは200億円の義捐金が集まりました。

200億円です。


マスコミはほとんど報道しません。


政府が世界各国にお礼の広告を各国の新聞に出したのですが、台湾には出してません。


民間人でお金を出しあって、広告を出しました。




イラン戦争の時にトルコ政府が多くの日本人を救ってくれたことをどれくらいの人が覚えているのでしょうか。



これを読んで感動した方は是非義援金を!

トルコ大使館
銀行名:三菱東京UFJ銀行
支店名:渋谷明治通支店(支店番号:470)
口座番号:普通口座 3144041
口座名義:トルコ大使館 災害支援義援金受付口座

ちなみにタイも!
【タイ大使館
金融機関みずほ銀行 目黒支店 当座預金
支店番号:194
口座番号:39710
口座名:Royal Thai Embassy


カンボジアミャンマーなどは公的な義援金募集はまだないみたいです。


最後にエルトゥールル号遭難事件を少しだけ転載しときます。

(ここから)

明治23年(1890年)の出来事です。
トルコ皇帝ミル二世が日本に派遣した特使一行を乗せたトルコ軍艦エルトゥールル号が、帰路、暴風雨に遭遇してしまいます。


そして、和歌山県串本町沖合で、岩礁に衝突し遭難した。


この遭難事故で、トルコ特使を含む518名が死亡してしまいましたが、死を免れた69名は、地元漁民の手厚い救護により一命を取りとめます。




助かった人々は、樫野の小さいお寺と小学校に収容された。





当時は、電気、水道、ガス、電話などはもちろんなかった。

井戸もなく、水は雨水を利用した。サツマイモみかんがとれた。

漁をしてとれた魚を、対岸の町、串本で売ってお米に換える貧しい生活だ。



ただ、各家庭では、にわとりを飼っていて、非常食として備えていた。





このような村落に、69名もの外国人が収容されたのだ。




島の人たちは、生まれてはじめてみる外国人を、どんなことをしても、助けてあげたかった。





だが、どんどん蓄えが無くなっていく。ついに食料が尽きた。

台風で漁ができなかったからである。




「もう食べさせてあげるものがない」 




「どうしよう」





 一人の婦人がいう。 





「にわとりが残っている」

 



「でもこれを食べてしまったら……」
 





「お天とうさまが、守ってくださるよ」

 



女たちはそう語りながら、最後に残ったにわとりを料理して、トルコの人に食べさせた。

 


こうして、トルコの人たちは、一命を取り留めたのであった。また、大島の人たちは、遺体を引き上げて、丁寧に葬った。

 


このエルトゥールル号の遭難の報は、和歌山県知事に伝えられ、そして、明治天皇に言上された。
明治天皇は、直ちに医者看護婦の派遣をなされた。
さらに礼を尽くし、生存者全員を軍艦「比叡」「金剛」に乗せて、トルコに送還なされた。
 
このことは、日本中に大きな衝撃を与えた。日本全国から弔慰金が寄せられ、トルコの遭難者家族に届けられた。


(ここまで)

この時に弔慰金を届けた日本人山田寅次郎はトルコに留まり、その教え子である後のトルコ初代大統領ケマル・パシャへと話が続きます。



イラク戦争の後も更に後日談もあり、トルコと日本は深い絆で結ばれている国です。



タイも第二次世界大戦の時に日本に30億円(当時のお金)を貸してくれていました。




戦後日本が戦争に負けて苦しい時に当時の池田蔵相は、日本の経済事情を説明して、返済の値引きを求めたところ、即座に了承してくれました。





タイのソムアン顧問は、次のように語っています。

日本国民餓死寸前の時でありました。日本中が焼け野原でした。そして皇族華族もいなくなり、有力な軍人賢明役人と高潔な政治家は牢に叩き込まれて誰もいません。アメリカはそっくり返って威張っている。団員は口々に「こんな気の毒な日本を見ていられるか」と言いましたよ。だから、私に向かって池田勇人蔵相が熱心に払えない理由を釈明していたけれど、全然聞いていなかったのです。」


 ソムアン顧問とその父で戦前に経済相をつとめたプラ・サラサス氏は、さらに「あまりにも日本の少年少女がかわいそうだ」と言って、私費で象の「花子さん」と米10トンを贈ってくれています。


敗戦後も変わらず日本を支えてくれていた数少ない国です。



その2つの国が今困っています。


多くの恩を返すチャンスでもあります。
周りの多くの方に声をかけて出来るだけ多くの方の支援があることを祈っています。

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