- 名前
- りょう
- 性別
- ♂
- 年齢
- 46歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 好みの女性はどМな女性です。 活動範囲は銀座を中心に電車で1時間以内が好ましいかな。...
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SMとは究極の愛
2020年01月14日 11:55
SMとは究極の愛だと個人的には思っています。
相手のことを常に思いやり、観察して、
本当の「嫌」と嫌じゃない「いや」を見極めなければならないからです。
相手のことをすごく想っていないと成立しません。
あまり痛いプレイは好きではないけど、
スパンキングやムチ、ろうそく辺りはつかうこともある。
相手が痛いと思うくらいすると覚める。
でも女の子は究極に気持ち良くなってくると
痛さが快感に変わるのも知っているので
痛みも与えてあげる。
それは相手のことを常に思って、観察していないとなかなか出来ない。
始めはベットのプレイの中でする。
だんだん日常生活にも拡大していく。
それも相手がそれを望んでいると思えないとなかなか出来ない。
「嫌よ嫌よも好きのうち」とはSMから出来た言葉ではないかと思うくらいw
ただ、相手が望んでいるだろうと思う事だけで終わるとなかなか身体を開発出来ない。
相手が望んでいるだろうと思うプレイの上をいかなくてはならない。
それを繰り返すと相手は自分の虜になっていく。
最終的には抱きしめるだけでいくようになったり、
イケと命令するだけでいくようになる。
ただ、そうなるには相手に対して凄く努力をしているような気がする。
どうやったら相手が喜ぶだろうと
日常生活でも常に相手のことを考えている。
文房具屋さんや100均なんかはエッチな道具売り場にしか見えなくなってきてるw
SMをしていると常に思う。
MがSに奉仕しているわけではなく、
SがMに奉仕していると。
やりたいプレイは無限にある。
経験した人はメールくださいね♪
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