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Leap of faith 信じるという事

2011年10月10日 00:47

英語の表現でLeap offaithというものがあります。

普通に「信じる」というよりは「信じ込む」と言った方が感覚的には合っているかもしれないですね。とにかく理論や裏付けを抜きにして信じるということです。

今読んでいる本の中でも経済の仕組みがいかにleap offaithの上で成り立っているかという事が書いてあります。「株式市場は上がり続ける」だとか「マーケットには数学的な方式がある」とかというleap offaithが重なりあって、今の「空虚」なマーケットがあるというものです。

もっと周りを見回すとLeap offaithというのはもっと広く日常にも存在します。言葉を変えていうなら、ある種の「信仰」みたいなものです。日本で「信仰」というと「新興宗教」などというように非常に狭く解釈されてしまうのですが、もっと広い意味での「信仰」です(日本人宗教観についてはまた今度にでも)。

例えば「教育がいい」という考えがあります。これはどの人に聞いても当たり前の様に思われている事で、実際に生きていくうちに一度たりとも疑いません。ですので親は一生懸命お金を稼いで、子供に教育を受けさせる事にreturn of investment(投資に対する回収率)などという理論的な事は考えません。

夏目漱石の「こころ」の中で主人公が実家に帰った時の父とのやりとりの場があります。父は東京に出て「教育」を受けるという事,ましていえば「教育」ということに不信感を抱いているのが分かります。時代的な背景もあるのでしょうが,「教育がいい」というのは万人に当てはまる価値観ではない訳です。

実際に良いか悪いか別として、言いたいのは理論科学的に「教育がいい」という事は説明でないということです。社会の多数の人が(日本の場合100%に近いかもしれないですね)共通のleap offaithがあるから成り立っている物です。

この様にleap offaithというものは悪い物だけではありません。社会の中にはそれがあるから成り立つものがいくつもあります。

例えば「結婚」というのもそうでしょう。結婚した時の若い男女が経験上想像できる事には限りがあります。人は刻々と変化をしていきますし、価値観世界観なんていうのも長い目で見ると一定ではありません。

そのような2人が一緒にやっていくというのは理論的なことを抜かしたある種のleap offaithがないと無理でしょう。つまりこれから一緒にいるのだと「信じ込む」ことがとても重要な要素になると思います。

いつまでも相手やもっとよくある例として自分を疑っていたらうまくいく物もうまくいきません。常に「今の人よりいい人」というものは存在します。

この様に広く考えるとleap offaithというのは本当に身の回りにあり,実際に社会が成り立っている大きな要素です。

大きな問題としてあるのが、どれに対して「信じる」のかという判断が曖昧な物になっています。疑うべき所を疑わなかったり、疑わなくてもいい所を疑ったりとこの判断を間違える時が多々あります。もう少し柔軟に自分は何を信じているのか、そして何を疑っているのかということを普段から意識する必要があると思います。

「信じる」という事に積極的になれるととても大きな力になります。そして信じる事によって生まれる「可能性」みたいな物をもう少し許容できるようになると人生が変わっていくことでしょう。

このウラログへのコメント

  • Kevin (えいゆう) 2012年06月11日 05:06

    Thanks! Glad you enjoy it.

    It is true that you can move mounrtains if you believe it. Let's try it!

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