- 名前
- エンドウ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 41歳
- 住所
- 愛知
- 自己紹介
- 精液を溜めすぎると身体に悪いという俗説があります。 実際には常に新しい精子が作られて...
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秘め事
2006年02月21日 23:07
友人の誕生日が近い。
今まではプレセントを贈ることはしてこなかったのですが、今年は特例として用意しなければなりません。
というのも、エンドウさんはその友人の誕生日を間違えるという無礼を一ヶ月前に働いているのです。どうしてそんな勘違いをしてしまったのかいまだにわからないのですが、失礼には変わりないので、お詫びをかねて誕生日プレゼントを渡そうと決めたのです。
ある意味、誕生日の贈り物というのは行為自体を楽しむものですから、祝いの気持ちが込められていればなんでもいいのだと思っています。ただ、相手がプレゼントに特定の物品を指定してくるということはあまり好きません。それは祝福が欲しいというよりも、むしろそれを口実として物をせがんでいる感があるからです。
さて、華やかさよりも実用性を取ろうと考えたエンドウさんは薬局へと赴きました。
やっぱり健康が一番だよね、ということで風邪予防にイソジンを買うか。
彼との情熱的なラブタイムに、ということでぬるぬるローションを買うか。
・・・そもそも薬局に来ている時点でとんでもない暴投を投げようとしている気はしますが、エンドウさんはどちらにしようかと真剣に悩んでいました。
考え込んでいるところに、三歳ぐらいの女の子を連れた二十代後半の夫婦がカートを押してやってきました。何気なしにかごの中身を見ていると、洗剤やティッシュといった生活感をうかがわせる品々がごろごろ入っていました。
高校生のカップルがべたべた引っ付いてアクセサリーやら何やらを見ている姿は嫌いですが、夫婦の光景というのは好きです。どこか、背景にある家庭を連想するからでしょうか。
ああ、俺もいつか家庭を持ちたいですね。その前に相方に出会わなければ。
そんな、少しばかりの羨ましさを乗せてその一家を眺めていましたら、何やら奥さんが旦那さんに何度も目配せをしています。
視線はしきりに特定の陳列棚と旦那さんとを行き来し、落ち着かない様子です。それに気がついた旦那さんは視線の行き先にある商品――コンドームをぽいぽいとかごの中に入れました。
ちょっと驚いてしまった光景でした。しかし子どもがいるとはいえ、まだ若い夫婦でしたからセックスがあっても何ら不自然ではありません。
エンドウさんにも歳の離れた妹が二人います。当時は兄弟が生まれたことを素直に喜んだものでしたが、今となっては「いったい、いつ仕込んでいたの!?」と思います。
ただ、コンドームを購入するということは子作りのためではなく、コミュニケーションとしてセックスをするのでしょう。しかしながら、彼らが手にしたのは比較的破損しやすい廉価商品でした。
ふむ、第二子の誕生は近いかもしれませんな。
あの夫婦は今頃セックスに勤しんでいるのでしょうか。まあ、彼らに限らずとも、どこかで誰かがしていることでしょうね。
そんな普遍的で、なおかつ原始的な行為であるセックスですが、相反してそれの孕む秘匿性には並ならぬものがあると思います。
昔に比べて随分と開放的になったとは聞きますが、明るみに晒すことを慎むべしという認識は世間およびひとりひとりの意識の中に深く根付いているのではないでしょうか。
友達同士でセックスの自慢をしたり相談をするということは大いにあるでしょう。
しかし、口頭で伝えられることは、どれほど緻密であろうとも単なる物語にしか過ぎません。行為を見せ合うということはされず、実態は常に伏せられたままです。
包み隠されることが当然であるようなセックスですが、それは時として反転します。
夫婦間において行われる場合においてのみ公然性を帯びるとは思いませんか。
子どものいない夫婦が「お子さんはまだかしら?」などと尋ねられる状況は、容易に想像しうるものです。けれども、どれほど朗らかに聞かれようとも、見方を変えれば「セックスしていますか?」と言われているようなもんです。
うがつことなく考えれば、夫婦に子どもが生まれたことを祝福しない人はいません。
しかし、その背景では確実にセックスが行われているわけです。それなのに夫婦のセックスをはしたないことであると非難するようなことはせず、暗黙の了解として認めるのです。
ただ、これは必ずしもセックスが公に受け入れられたというわけではありません。
子孫を残すという付属目的が若干の好転を促しているだけなのです。
子どもを作る気なんてまるでなく、抜かりなく避妊をして気持ちよくなるためだけにセックスをしているとなれば、夫婦間の行為といえども世間の印象はよろしくないでしょう。慎み隠すべき行為であるという点はまるで変化していないのですから。
要するに、付加価値に意味づけがなされているということですね。
恋人同士もしくは夫婦で。はたまた風俗で。あるいは強姦で。
いずれの場合も行為自体に大差はありませんが、それぞれの印象はまるで異なるものです。それは、認識というものが状況や事情を個人の価値観に照らし合わせて、導き出されるものであるからです。
エンドウさんとしてはセックスがより開放的になってもいいのではと考えますが、やはりプライベートなことであるという認識は拭いきれません。むしろ、それはかなぐり捨ててはいけないことだと思うのです。
いくら開けっぴろげになろうとも、線引きをして伏せるべきところは伏せるという自律が必要ですよ。きっと。
このウラログへのコメント
テレビで大家族を見ると(いつ何処でエッチするんだろ?)ってつい考える(笑)プレゼントは何に?
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