- 名前
- カオル
- 性別
- ♀
- 年齢
- 41歳
- 住所
- 千葉
- 自己紹介
- 流れに抗わぬまま ただ惰性に溺れ 人生に揺蕩う 眠れぬ宵に 現の伽を想い 閨所に独り...
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電脳喫茶考
2007年10月07日 20:59
一人に一つずつ用意された部屋。家具は何もなく、ただものを書く道具だけが置かれている。かといって缶詰状態でもなく、出入りは自由だ。入り口は二つ。もっとも、私は裏口を全然使わないが。
鍵はかかっていないので、誰でも勝手に入れる。そして日付順にきちんと並べられた日記を、どれでも好きに読める。日記とはいっても、詩を書く人、小説を書く人、アンケートをとる人、様々だ。写真や映像も展示できるらしいが、私はやり方をよく知らない。
文字と映像を用いる大抵のことは、この部屋でできるのではないだろうか。写真入りの図鑑のようにしたり、自分の絵画や写真展のようにしたり、自作の詩に曲をつけて流すこともできるだろう。評論を書いてもいいし、何かの宣伝もできる。もちろん日記だけでも構わないが。
何をしても構わないとはいえ、自己完結・自己満足で済ませるならば、わざわざこんなところにくる必要はない。
誰かが訪ねてくる。
誰かを訪ねていく。
そんな人間同士の関わりが、ここを成り立たせている。ならば多少なりと、人の目を意識した方がいいだろう。
日記を他人の目に晒すなど恥ずかしいことこの上ないが、別に何もかもを赤裸々に記す必要はない。ちょっとした出来事を書くだけでも十分だ。それだけでも、ときには部屋を覗きにきた誰かが書き置きを残していってくれるだろう。
何かに共感してくれる。辛いときには励ましてくれる。いいことがあれば一緒に喜んでくれる。
そんな、簡単なようで中々作れない人間関係を、ここでは育み易いように思う。回線だけで繋がれた、外の世界よりはか細い関係ではあろうが。下心もまぁ、ないとは言い切れないだろうけど。
あぁ、だけど今日も、あの人はその細い糸を辿ってきてくれた。視界の左隅に、いつもの姿。書き物をしている手を止め、ふと顔を上げると、いつの間にかそこにいる。
目にかかった前髪を軽く払い、「やぁ、どうも」なんて暢気な挨拶を交わしてみたりする。そして二言三言他愛ない話をして、すぐ去っていってしまう。
ちょっと立ち寄っただけ。でもそれはいつもの事。
そんな関係ではあっても、しかしそんなことだけが何ヶ月も続くというのも、案外と心地よいものだ。
ここでの人間関係、その距離は、一昔前にはなかったものだろう。どこの誰ともわからぬ相手と、なんとなく顔馴染み。相手を信頼する理由も疑う理由もない、微妙な縁。そしてそんな関係でありながら、毎日でも言葉を交わすことができる。
ここでお互いが会い続けられるというのは、多くの人は意識していないかもしれないが、結構凄いことだ。学校や職場で、否応なしに毎日のように顔を突き合わせるのとは訳が違う。
「会いたい」という意志がなければ、二度と出会うことはない。
どちらかが接続を断てば終わってしまう、脆い関係。それでいて、どちらもが明日も会いに行こうと思い続けていれば、どこで何をしていようが、死ぬまで続けられるかもしれない再会。
どんなに文明が発達しても、どんなに素晴らしい技術が開発されようとも。人の心を繋ぐのは、やっぱり人の意志でしかないのだろう。
いつか外の世界で誰かと出会う機会があったなら、どんな顔をして会いに行こうか。緊張して目を合わせられないかもしれない。ここで言葉を紡ぐように、上手くは喋れないかもしれない。相手を退屈させてしまうかもしれないな。
それでも「また会いたい」と思える人と出逢えるだろうか。ずっと傍にいたいと思える人と出逢えるだろうか。
例えば『妖精の詩』のような。例えば『REVERSE』のような。あるいは他の多くの物語のような。
きっとここでも、たくさんの出会いと別れの物語が生まれているんだろうな。
そんなことを思いながらどこかの誰かにおやすみを呟き、私は部屋を出た。
このデジログへのコメント
部屋を出たら…
外はまぶしい陽のひかりと秋の心地よい風
うん、仮想から現実の世界への転換もいい…
久し振りですね^^
確かに微妙な縁
だからこそ、色んな出会いと
・・別れもあるのかな。。
いいですね^^誰か知らない人と 顔なじみ^^
同感です。。デジカフェって、現代の新しい人との関わりかたですよね。
あ、丁寧にメールありがとです。
ログ訪問ありがとう^^偶然かも何かも間違いかもしれないけれど、積極的意思が働いているのは、確かですね
人間はそんなんじゃないと思った
やな人とも付き合い人の感情を感じてそれを考え人の気持ちが解ってくる
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