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不思議なシリーズ スペシャル 死後の世界

2025年08月19日 00:19

日記を書くのは2年ぶりです︎

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

突然ですが1年前に「母親」が逝去しました
(かなり前から余命宣告はあったので個人的には突然ではありません) 

日記の題材としては割とセンセーショナル
かなとおもうので、はじめに御断りをしておきます。

ちなみに私自身は「死後の世界」については
どちらでも無いというスタンスでおります

ですが、

母親の死後、自分と家族に起きたちょっと
不思議な出来事をどこかに書き記しておきたくて 


取り止めもなく綴っていこうとおもいます。

では本編スタート

私の家族は
珍しくというのもなんですが、母以外、男ばかりの構成ですが、仲の良い家庭環境です。

およそ.5年前より患っていた癌の転移が見つかった母は
自身の終末を見据え闘病生活を送っていました

亡くなる前後には、ショック症状で
歩く事も食べる事も出来なくなってしまい

終末期には発作による痛み襲われるようになってしまいかなり辛い状況に追い込まれていました。

ある夜。

全日に発作を起こして病院に搬送されたと知らされて
実家に戻っていた所に

病院から危篤の知らせを受けて
家族で、急行しました

駆けつけた時には母親の意識はなく
心停止直前でしたが、声をかけたその時だけ
ほんの一瞬ピクッと顔が動いたのを最後に
急激に心電図のレベルが下がり

意識を戻す事はありませんでした

痛みで苦しんだであろう、母親の顔は
とても安らかで、少し笑っているようにも見えたのですが

残念ながら、離れた場所に住む兄弟はその瞬間に間に合う事ができず、コロナで数年顔合わせが出来なかった家族が久しぶりに揃ったのが

家族の臨終というのが、なんとも言えない感情になった事鮮明に思い出します。

デジログでは何度か死生観を語ったと思うのですが母親生き様を見て改めて、「命」というものを実感したように思います。

そしてその場で、初めて知ったのですが

安置所がない場合、病院には留まることはできずら。
死亡確認して後はすぐに医師から諸々の
手続きを催促されます。

確認が済んで15分程度で葬儀会社に
連絡を取って遺体を引き上げなければ
なりませんでした


そこから怒涛のように、親戚から友人関係まで訃報を届かなければなりません

家族以外の全員が【突然】の知らせになるので
連絡する度に都度事情を説明しないとならないので精神的な疲労どが極まで達した事は今でも
記憶に新しいです。

そんな中、
遺影のデザインなど、葬儀について
目まぐるしく決まっていく中で

私にはふと感覚で「桃色」というイメージが頭にことある毎につよく浮かんでくるようになりました

例えば遺影のデザインなど
寒色系にしようと思ってたんですが

やたらと桃色の何かが目につくので
ピンク系の色を選んでみたり

その辺から

家族が揃ったリビング
「ガタガタ」とか窓を叩くような ポルターガイストばりの物音が鳴ったりするように

まるで、見えない何がいるようなそんな感じでしたが

分担した作業を一緒に進めていると

兄が、これまでの後悔を語り
それに対して自分が

オカンはそこそこチカラある方だから
何かしらメッセージくれると思うよ」

などとい何気ない雑談
後の出来事への布石となりました

同じ日の夜

「棺に」入れるモノをいくつか
決めようということになり

私の「手書きで書き溜めてた料理レシピとかかね」という案を

父が聞いて、普段は開けることのない戸棚を
ゴソゴソしていると

奥からプチプチに包まれた「読んでね」と書かれた手帳が出できました

開けてみると
UQモバイルノベルテイノート
ガチャピンピンク

の中に「遺言」に近い
父親と兄弟に向けたメッセージノートが出てきました

これには流石に驚きました
オカン聞こえてたら何かしらメッセージくれる」って

自分が発言してからほんの数分で起きた出来事だったからです   

もしかしたら、「遺言」をどこかに
置いてるかもしれないと同じ場所を自分も
探したのにも関わらず

内容は短いものでしたが、遺族として残されたものには有難く、また感動できるものでした


いつ見つけられるか分からない場所に置いた
ピンクガチャピンノートに書いてるのもまたらしいといえばらしい

偶然かもしれませんが、私なら気づくと何か
信号のようなものを送っていたのかもしらません
(母方は霊媒体質の家柄で、もう1人の兄と私もちょっとだけスピリチュアル的な感覚があるタイプです)

そこから矢のように
葬儀告別式まで無事に終えて
その間にも細々と色々あったのですが
割愛


49日を過ぎたあたり、実家に戻っていた
ある日の事

母親がよく通っていた道のりで
母親」にバッタリ会ったのです
※夢に近いものですが夢では無いです
------------------------------|------------------
私「え!っ!オカンじゃん何してんの?」

母「あら、◯◯ちゃんワタシはもう還帰るのよ!」
※母は私のことをふざけて名前+ちゃんづけで呼ぶ事があります

私「兄ちゃんが、オカン死んでから
  ショックで受けて元気無いからなんか
  言ってやってよ」

母「そんなの知らないわよ
  いい大人なんだから平気よ」

バス停に停車していたバスに乗り込む母親


このバスは普通のバスではありませんでした
見たもそうですが
運転手の顔が無く「ジブリのカオナシ」みたいな容姿で人間のそれではなかった


母親「あー疲れた もう十分 
   アンタも一緒にいくかい?」

私「いや、おれはこのバスには乗らないよ」

母親 
  「そうね…じゃあ いくわね️」

そういって発車したバスは
金色の光に包まれながらゆっくり走り出しました
------------------------------------------------------------
この時の母親の姿は
私が幼少期に見ていた若い時のものだったので
より印象深い体験として強く残っています

この時もし、一緒にバスに乗ったら
私はおそらく戻っては来れなかったのでは無いかなと思います。

ここまでの一連の出来事は
自分の人生観死生観に大きく影響を与えた
事は言うまでもありませんが

自分なりに一つの答えにたどり着くことができました

それはこの先
「どう生きるか」という事

死後の世界があるかどうか、霊的なものがどうとかはさておいて

この、バスのエピソードは特に
インパクトのあるものですが

私以外の家族それぞれに、違う方法で
色々なメッセージを遺して逝ったそうです。



あと、これは余談なのですが

母親の遺品に歴代の祖母から
女子に受け継がれてきた(という伝えを聞かされていた)
家紋の彫り込まれた金のリングを見つけて
たまたま指にピッタリあったので
アクセサリーとして普段つけてる
リングに重ねてづけしていました

ある朝

夢の中に母親がボワっとでてきて

母「お父さんに仏壇しめてんじゃねーって言っといてーーー」
※母は口調が粗い時がある

私「急にでてきて言うことそれかよ笑
  仏壇なんかいつも開けてるはずだけど?」

という、ことがあったので
電話で確認してみると  

「仏壇?あー今閉めてるよ、なんで?」

私「( ͡° ͜ʖ ͡°)そうなんだ
  オカンキレてるから開けといてやんな」

父「おお、わかった」

ちなみに父は、いわゆるスピリチュアル的な感覚は
全く無いのですが、不思議な体験をいくつか
経験したようなので、その辺りの
話は通じやすくなってます。


ここまで
見事に取留めのない内容になりましたが

自分自身、たまに『母』が登場するので
亡くなったはずなのに、実感があまり無いというのもあります。

一方で
家族を亡くした喪失感は筆舌に尽くし難く
悲しみはとめどないものになります。 

それを受け止めきれずに苦しむ人達も多いそうなので

このログで何かしら感じて貰えたら
嬉しいなとおもう次第であります。


長文お読み頂き感謝



画像はちょっとイメージ違うけど
ほぼこんな感じという
バスのエピソードをイラスト化してみました

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