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問いかけることの暴力と、それでも考えるという選択

2025年07月22日 06:17

「考える」という行為には、痛みが伴う。


問いを立て、仮説を立て、情報を読み解き、
また問い直す。

そのプロセスは、時に孤独で、不安で、
迷いを含んだものだ。
それでも私は、自分の頭で考えることを
やめたくないと思っている。



最近、ふと思うことがある。
人に問いかけることは、
ある種の“暴力”になりうるのだと。


自分の中で整合していた価値観が揺れる瞬間、
信じていた前提が崩れる瞬間、
それは、人によっては脅威になり得る。



ただ、それを恐れて誰も何も問わなくなったら―
この社会から、“自分の意思で選ぶ”という
営みは静かに消えていくのではないかと思う。
 


情報があふれる時代。
その中で私たちは、思考を「手放す」ことも、
「手放さない」ことも選べる立場にある。

だがその自由は、意外なほど脆くて、
誰かの声や空気感
簡単に飲まれてしまうこともある。



考えることは時に、孤独だ。
でも、私にとっては、
それが“自由であること”の証でもある。






この文章を、最後まで読んでしまったあなたは、
たぶんもう――思考からは逃れられない。

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