- 名前
- 江梨子77
- 性別
- ♀
- 年齢
- 61歳
- 住所
- 神奈川
- 自己紹介
- 私は横浜市南区在住のひとり暮らしです。164センチで色白ポッチャリムチムチ系でミニス...
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横浜大洋時代の名捕手若菜の思い出です。
2024年01月17日 07:58
私がまだ20才くらいの学生時代の頃、私が好きだった横浜大洋ホエールズに、若菜捕手という名捕手がいました。阪神を経て横浜大洋にはある程度ベテラン捕手になってからきました。座ったままセカンドに送球できるような強肩と、時々ホームランも打てる打撃力もあった名捕手で、187センチ90キロでしたが、足が長かったのでスタイルは良く見えました。試合中にはファイトむき出しで、審判の不可解な判定にも激怒するタイプでした。相手チームの当時の若い選手には若菜さんは怖い!と恐れられていました。今や世界の栗山名監督も当時はヤクルトの若手でしたが、試合中、フアウルフライを若菜が取りにいき、フアウルになった直後、栗山選手に、若菜が、オラ!ワイのマスクを拾わんかい!と栗山選手に命令すると、栗山選手は、ハ、ハイとかしこまって若菜にマスクを拾って差し出しました。また、当時、新人だった今の阪神の岡田監督が新人選手の頃、岡田がホームに走って帰ってくるのに余裕でセーフのタイミングだったので、岡田選手は、滑り込む必要などはなかったのですが、ホームに走ってきた岡田選手に、若菜捕手はわざと足をホームベース上で引っ掛けたので、岡田選手はずでーんとひっくり返りましたが、若菜捕手が元阪神の先輩ということもあり、岡田選手は何も言えず、泣きそうな顔をして起き上がりました。今は岡田名監督は、ドンデンというあだ名がありますが、あの頃はドンデンではなく、ズデンところばされた岡田選手でした。今や世界の名監督の栗山監督や、阪神の名監督の岡田監督の若い頃に二人を若僧扱いしていた若菜捕手!またある時は、審判の明らかな誤審に激怒して、審判に暴言をはき、即退場処分になりましたが、ベンチに戻ってからも怒りが収まらず、ベンチにあるバットやグローブをグラウンドに多数放り投げました!翌日のスポーツ新聞の一面には、新聞も審判の明らかな誤審と若菜に同情して、一面の見出しが、そんなワカナ!そんなバカな!の意味の見出しでした。あと当時は、チーム同士で乱闘になることもけっこうありましたが、若菜は体格も良かったため、敵の外人選手にも勇敢に立ち向かって行きました。味方の選手には、若菜さんのそばにいれば乱闘になっても大丈夫!と有名でした。若菜は、味方のチームの後輩やファンには優しい良い人だったのです。あるシーズンオフに、私は関内付近で、若菜選手とすれ違いましたので、あの横浜大洋の若菜さんですよね?と恐る恐る声をかけたら、若菜さんは、ハイ〜と機嫌良く答えてくれましてサインにも快く応じてくれました。最後に若菜さんのほうから、今日はありがとうねと優しく言ってくれました。普段のグラウンドでのガラの悪い暴れ者というイメージの若菜さんとは、全く逆のイメージに、私は感動して、それから若菜捕手の大ファンになりました。若菜選手は横浜大洋を退団してからは、ダイエーのコーチになり、あのメジャーでも活躍した城島捕手を若菜コーチが育てあげました。若菜さんは、今は70才くらいになられましたが、お元気になさっているようです。
このデジログへのコメント
若菜って、いましたね。最初が太平洋、次に阪神、そして大洋だったと思います。
栗山にマスクを拾え!なんて言ったのですか。当時は、相手チームの選手にマスクを触らせるなんてほぼなかった時代ですよね。
テツさんコメントありがとうございました。
ひろひろさんコメントありがとうございます。
若菜、覚えてますよ。太平洋から阪神に確か田渕と複数トレードだった。体がデカくてキャッチャー位の記憶でした。打撃は体格の割には?でした。真弓も絡んでましたね
阪神時代の若菜さんを覚えます
ギャップは魅力で
やられちゃいますよね
恋のぼりさんコメントありがとうございます。
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