- 名前
- yano
- 性別
- ♂
- 年齢
- 55歳
- 住所
- 埼玉
- 自己紹介
- しばらく山にこもったような暮らしをしてました。そうしたら友人も話をする人も居なくなっ...
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今日は、こんな気分。
2007年08月14日 23:17
https://jp.youtube.com/watch?v=zL9GzM7dQi4&mode=related&search=
何か、また見たくなってきたなぁ。
この間書いていたシナリオの中の台詞。
「このように、宮沢賢治の書く物語は童話という形であっても充分大人たちの心に届くものです。むしろ大人になってからのほうが、この物語、語られる言葉、意味は深く届くものがあると思います。
NHKの子供向けの番組で雨にも負けずを朗読したりしているので、近所の幼稚園児が大きな声で「あめにも、まけずー」とか言っているわけですけれども、僕なんかは、とても笑いながら読める詩じゃないわけです。
先生が若いころ読んだときは、ああいいなぁ・・・ぐらいでした。先生馬鹿でしたから。でもこの歳になって読んでみると、ああこういう人になりたいという祈りすら感じてしまいます。
人間、歳をとらないと分からないことが一杯あります。
小説ひとつ。映画ひとつ。歳をとってみたら、きっと違う見え方をするはずですから、皆さんもいつか大人になったときに何度でも読み直してみてください。
先生なんか、日曜日に庭仕事とかしてるぜんぜん関係のないときに「あ!あれはこういう意味だったんだ!」とある小説の人物の台詞の意味がわかったりする瞬間があります。庭仕事なんか関係ないのですけどね。
そういうわけで先生が一番すきなのは、この「蠍の場面」でしょうか?
何のために生きるのか、生き物は何のために死ぬのか、先生にはまだ分かりません。殺されそうになったらきっと逃げるし、誰かのためにがんばっても結局自分のためのような気がします。
「加藤は、何処が好きですか?」
加藤「・・・・・・・わかりません」
「あ、そう。」
自分を犠牲にして誰かのためになったときは、そりゃ嬉しいし、がんばれるものです。しかし、それが半月、一ヶ月半年、一年と続いたらどうだろうか?そして、いつか犠牲を当たり前のように考えられるようになったら?自分は犠牲になり続けられるだろうか?僕は怒らずにいられるだろうか?
先生は最近そんなことを考えています。」
最近、こんな台本を書いていたこともあって、ちょっと昔見たもの聞いたものを漁ってみた。
昔見たときより、イェンタウン・・・海外からの不法就労者たちの立場、気分、を少し想像してみることが出来そう。
https://jp.youtube.com/watch?v=CMrLI300cAk
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