- 名前
- 一徹
- 性別
- ♂
- 年齢
- 74歳
- 住所
- 和歌山
- 自己紹介
- 高野山大学3年に編入、空海の哲学や当時の文化を学ぶ
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今日は高野山
2023年09月06日 19:16
本日は高野山に来ている。大師様の聖地のためか、台風も酷暑も避けているようで過ごしやすい。弘法大師が即身仏となる為入定した奥之院には20万基の墓石があるが目立つのは戦国大名と太平洋戦争戦没者と企業の供養塔、徳川家は別の敷地に徳川霊台を有し奥の院で目立つのは豊臣家、どちらも東京増上寺・京都豊国神社に本来の墓地を有し、ここには分骨してお大師様のご利益を狙っている。そんな中で我が伊東家に関連のある供養脾を見つけた。伊東の荘の領主だった伊東祐親の孫、敵討で有名な曽我兄弟の供養碑である。兄弟は子を成す前に死んでいるので私はその直系ではないが少し縁ありと言う事で手を合わせてきた。伊東祐親は源頼朝の身柄を平氏から預かっていたが娘の八重姫が頼朝の子を産んでしまい、平氏への言い訳の為その子を殺してしまい後に頼朝により滅ぼされている。その奥の院を出たところにある清浄心院(しょうじょうしんいん)で初めての体験をした護摩行拝観無料と書いてあったので立ち寄ったのだが受付で護摩行ではなく寺院を拝観したいと間違えて言ってしまって、若い坊さんに中を案内していただき話を聞かせてもらった。ここは弘法大師とは大いに縁があり、弘法大師の時代に一番最初に造られた寺で、その後の金剛峯寺のモデルになっている。加えてここには年一度しか開帳されない二十日大師(はつかだいし)という秘仏がある、弘法大師が入定する21日の前日これを形見にせよと言い残して念を込めて残したのがこの二十日大師像である。秘仏のため今回は見れなかったが毎年4月21日の開帳日には誰でもこの弘法大師の念のこもった等身大の像を間近でみられるとのこと。その後護摩だきに参加し最近亡くなった両親と叔母の供養をしてきた。
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