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いおうとう

2007年06月19日 01:26

硫黄島は「いおうとう」=国土地理院が呼称変更

・・・

ん~

いおうじま

じゃ、なくなるのかぁ・・

ちょっとショック(ーー;

だって
硫黄島からの手紙

いおうじま からの てがみ

であり、

その馴染みがあるから
いきなり

いおうとう

と、言われても・・


と、思っていたのも束の間




東京都小笠原村硫黄島の呼称

「いおうじま」から「いおうとう」に変更したと発表

でも、次の言葉に、この変更話にも納得せざるを得ない気持ちにもなりました

旧島民が「いおうとう」と呼んでいたことから、小笠原村から同院に地名修正の要望があり・・・


そっかぁ
旧島民が呼ぶ、という事は
今は島民が居ないというのを考慮すると

旧島民って、あの時代に何かしら携わっている方々?
という意味?

であれば、これは納得せざるを得ない改名

同院と海上保安庁海洋情報部の「地名等の統一に関する連絡協議会」が変更を決めたらしく、

戦前からの呼称に統一らしいです。

北硫黄島も「きたいおうとう」、

南硫黄島は「みなみいおうとう」
に変更されたらしく

同院は2万5000分の1の地形図硫黄島」のふりがな
「いおうとう」
に変更して、刊行するらしいです。

映画の題名はさておき
これからは、単体では

いおうとう

と、呼ぶべきですね(・_・)/


小笠原村によると、
戦前から旧島民らは
「いおうとう」
と呼んでいたらしく

昨年公開された米国映画

硫黄島(いおうじま)からの手紙」

の影響もあり、
テレビなどで
「じま」
と発音されることが多くなったため、
旧島民から苦情が寄せられていたらしく
それで、村は国土地理院に対して呼称の変更を要請していたらしいです。

国土地理院によると、
硫黄島は1968年の本土返還後、

「とう」

地図では表記されたが、
82年に都の公報に基づき

「じま」

に修正された。

米国では戦時中から

「じま」

と呼ばれていたそうです。




映画の呼び名は、あくまで題名なので、そのままなのでしょう


硫黄島

今は島民はゼロですが
(これは島民が引き上げたとか居なくなった訳では無く、
国として無人島にしたんですよね)
見える人間は皆無ですが
2万人だったかな?戦士された方々が地中に眠ってらっしゃるんですよね

映画に酷く感銘を受けたせいか
あの島の形、風景が、今でも目の裏に出てくる位です
物凄く印象深い作品
もう半年も経つのに、ストーリーや映像は目に焼きついています。


正直、今まで

戦争映画

という物自体が嫌いでした

ある意味残虐にも観えるし、忠実に作り過ぎているせいか、気持ち悪い部分も多々あったり

でも、

硫黄島からの手紙

は、日本人であれば、絶対観た方がいいと思います。

こういう映画に

面白くなかった

とか

つまんなかった

と思う人も中には居るのかもしれませんが

日本の流れに大きく足跡を残した事実だと、私は思います

どっちが勝ったとか負けたとか、そういう単純な話ではなく

戦争は、決していい事では無いけれど、
でも、
上手く避ける事の出来なかった事実に立ち向かう兵士

立ち向かう、
という引用より
立ち向かわなければならない、現実

今の人間の中で、
何人彼らと同じ勇気を持てる人間が居るのか・・

そういう意味合いでも、
昔の方々って、本当に凄いんだな
と、思えました。

目をそむけるシーンも多々ある事はありますが

全体的には、
私達戦争世代では無い世代に、
何か残してくれているメッセージ的な物を感じました。

勇気を振り絞って観に行ったのが発端でしたが、
でも、
観に行って本当に良かった作品です。

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