- 名前
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- 無機的な、 からっぽな、 ニュートラルな、 中間色の、 富裕な、 抜け目がない、 或...
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常世
2020年05月08日 23:18
常世(とこよ)という場所がある
時と場合によって使い分けているきらいがあるが
基本的にはあの世で構わないかもしれない
では具体的な場所は?
海に彼方である
日本の本土にかかわらず
南西諸島、東南アジアまで含む考え方で
もの凄く素朴な太陽信仰といっていい
沖縄には「ニライカナイ」という考えがあり
遠く東の海の彼方にある神の国だという
こにニライカナイに関する手に取れるしっかりした文献がまた少なくて困っている
しかし多くの民俗学者はこのニライカナイから古代の日本の世界観を見つけようとしている
よくある話であるが
東から日が昇り西に日が沈む
朝日朝焼け、夕日夕焼け、の印象からくるものだろう
沖縄やそれらに含まれる南の島嶼には
ほぼ皆同じような考え方を持っていたようで
実際に沖縄の一番の聖地は沖縄本島の南東にある小さな離れ小島の
久高島、そこで沖縄の祈りの場である「御嶽(うたき)」が今でも古い形を残している
これは久高島に今でもしっかりと残っているというだけで沖縄の各地にある
御嶽は本島における神社のようなものだと考えていい
御嶽は完全に男子禁制でそこで行われる祭祀は皆女性がする
神に仕えるのが女性であるためでいわゆる巫女である
縄文土器を見ると分かるのだが古代社会は恐らく皆女性が神に仕えてたのではと思う
常世、常の世、永遠に続く世である
理想郷といってもいいが不老不死の世でもある
では古代において不老不死とは?
死の国のことを指すことになる
実はこの常世という考えは本島に難しく
死生観と合わせて考えていかなければ読み解くことが難しい
日が昇り日が沈むというサイクルは
人が生まれ人が死ぬというサイクルと考えれば分かりやすい
古代においては聖なる方角は東であった
そして西は聖なる死の国であった
今話題となっている「纏向遺跡」はそんな古代の考えを裏付けるように
東の三輪山を拝む形に作られている
この東西という軸が死生観にも表れている
ニライカナイがそうであるように
古代日本の死生観にはどうしても避けて通れないのが
「蛇神」だ
次に「蛇神」について書きます
このデジログへのコメント
ニライカナイと裏鬼門が同じ方位を指しているのが以前から不思議なでした。
まぁ、神と鬼はある意味同一なのでしょうが
> るりいろさん
確かに古代において神と鬼は同一でしたでしょうね
鬼門、裏鬼門に関してはかなり正確な陰陽道の知識があってなので難しいですが
素朴な太陽信仰を考えると受け入れやすい考えでしょうね
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