- 名前
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- 無機的な、 からっぽな、 ニュートラルな、 中間色の、 富裕な、 抜け目がない、 或...
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奈良朝から平安朝へ
2020年03月23日 21:20
長屋王の変
橘奈良麻呂の変
恵美押勝の乱
藤原広嗣の乱
早良親王(崇道天皇)
薬子の変
応天門の変
奈良朝から平安朝初期に起きた事件を列挙した
奈良朝を教科書的に解釈すると平城京時代でわずか八十年ほどである
上記四つの変・乱がこの八十年間に起こり皆線でつながっている
平安朝初期の重大な事件は
薬子の変である
呪詛により政争に勝たんとした事件であるが
時の天皇相手であったため大事件となってしまった
結果連座して罪人となった貴族やその周辺の人物達は数え切れないのではないか
時の皇太子(勿論次期天皇)であった高岳親王は廃太子とされ
空海に師事し阿闍梨となると南方へ旅に出て消息を絶つ
「捨身餌虎」を実践したという伝説も残っている
早良親王、である。
母系の家系が低いからと言うだけで抹殺された親王であるが
同母兄には桓武天皇がいる
ということはまた別の理由があるのだろうが今は深追いはしない
母は高野新笠で彼女の父系は和氏であり史の姓であったと言うから
本来天皇家に嫁ぐべき家格では無かったのは間違いない
早良親王こそ前回の御霊の中心でもある
和氏が倭氏であるなら東漢氏の可能性も考えられる、機会があればこのことも書く
早良親王は本当にその存在だけが知られている程度で
実際はどのような人物かは定かではない
確実に言えるのが怨霊・御霊と化した親王であるということくらいである。
飛鳥時代からそうではあるが
律令制が整備されるにつれ
官位が出来
官職が出来
位階といヒエラルキーも出来るにつれ
貴族になるためには
出世しなければならなくなるし
貴賤問わずに出世できる実力主義をモットーとしたのが
聖徳太子の冠位十二階であったのだが
国政のトップにまで上り詰めたのは
吉備真備か菅原道真くらいではないか?
阿倍仲麻呂が帰国でもしたとしても果たして日本の政治に対応できたか疑問でもある
そういう時代だったのである
日本的な家制度、勿論今の日本的家制度ではない
古代から連綿と続く家業が表立った政治とは無関係の
伝統を守らなければならない家だとなおさらである
神話時代から続く一族には必ず為すべき仕事があった
変化に対応できるものも有ったろうが
出来ないものは淘汰される
これは今も昔も変わりは無い
では道鏡に戻ります
このデジログへのコメント
もし、その時代に生まれておったら…たちまち打ち首になってたかもなぉ。
> ネコマルver2さん
この時代は陰湿な嫌がらせですかね
今で言うなら左遷させて左遷先でも仕事与えなくただ座ってるだけとか
小野小町はまさにそんな人生でしたね
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