- 名前
- なつみ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 48歳
- 住所
- 大分
- 自己紹介
- 自己紹介…になるのかな。 デジタルというよりアナログな人間かと思うんですが…。 傍目...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
友人からの質問で
2007年04月20日 18:18
週末です。といっても病院外にいるだけどあまり遠出が出来ないんで普通の日とあまり変わりないんですけど。
今週から陽気が好くなったためかお風邪さんも少なく、平和な日を過ごしています。
今の病院着てから自炊を始め、今のところ続いています。さすがに調理器具があると作りますね。お店で食べるより、ある意味おいしい。好みのものを好みな量作っているからというだけだけど…それと味付けが僕好みに出来ているからなんだろうけど。しかし本当においしいかといえばそうではない。何故か!!!さらにおいしく出来ると思うからだ。そりゃそうだよね。
さて、以前書きかけて、消してしまったものを今回再びトライ
タイトルは『何故、医師になったのか?』
何故医学部を志したのか?…志したわけではないんですよ。
色んな理由があるとは思うんですけど、『このため』です。なんて強い想いは無い。ただ単純に医学部に進めるだけの学力があっただけです。こんな風に書くと傲慢だな。う~ん、高校3年生のはじめ僕は東大を目指していた。システムエンジニアになりたかった。コンピュータなどのプログラミングなどをしてみたかった。それでもよかったんだろうけど、2学期には志望が医学部に変わっていた。この間の気持ちの変化はトンと記憶に無い。ただこの頃から医学部を目指していた。実際に僕が高校2年生の頃など教師だ警官だ料理人だと志向はわけが分らない方向へ向いていた。一時は料理人が好いかと思い、高校を辞めようかなぁなんて軽く考えるくらいあった。まあ若さ特有の何も考えていないってヤツですよ。
しかし高校3年の2学期以降、医学部を目指した。僕の成績ってのが教師も悩むほどに変動が激しいものだったんですよ。実力があるんだかないんだか分らない。それは僕も分らなかった。学年で250人いたんですけど、2ヶ月の間に3回ほど学外試験があったんだけど順位が30番、150番、80番とバラバラ。ちなみに進学校だったから50位以内は東大合格の可能性はあるといわれていた。最高成績は13番…これは東大合格確実圏内なんだけど…このラインの成績はひょっこり出せるものではないんだ。僕自身、最高成績のときって書いてるくらいだけど普通は最高成績でも出ないんですね。
不確かな実力。誰も解けないような問題を簡単に解いたり、みんなが分るようなものが分らなかったり、成績がいいかといえば悪くもある。勉強は不真面目かといえば常に全力投球の姿勢。教師はおろか友人も面白がっていた。ふざけているとしかとれないからだ。でもいつも喜んでは凹んでの繰り返しだったのは僕なんだよね。高校の頃は本当にまじめだったから、教師は責めるに責められなかったようだし。
そしてセンター試験当日、インフルエンザに罹ってしまいヘロヘロで思考停止状態で受けたし。普通は足りないはずのテスト時間が余ってたからね。どの教科も30分で仕上げて、つっぷして寝ていた。もう起きれるような状況ではなかったんだ。39度~40度の熱で座っているのもつらかった。
結果は上々の成績ではあったんだ。本来は。
ツキってのはやはりあってね、マークミスをしたんだ。50点分。今まで一度としてしたことが無いマークミスを。ヨリによって本番でね。もう泣きそうだった。
それで安全圏と考えられた大分大学の医学部を受けた。
無理かと思ったけど、僕自身の能力って2次試験向きなんだよね。誰も解けないような問題を解く。これは2次試験で活きて来る。センターは基礎が分ってるかだからね。基本的に簡単に出来ている。以下にミスを減らすかの作業だから。
そしてなんとか合格に至った。当時は受験勉強を辞めたい思いもあったけど、本当に医学部ならどこでも好かった。僕自身、実家の場所からの関係から長崎・熊本・佐賀なんかを目指していたんだけど。回りまわって大分にいます。
あの日、インフルエンザに罹ってなかったら。
あの日、マークミスに気付いていたら。
あの日、大分大学を受験しなかったら(大分は本当に考えていなかったんだ)。
色々な偶然があって、今ここにおります。
小児科を目指した理由はまた今度にでも。でもこれも何か好いお話があるわけではない。むしろ疑問に思うだろう。理由が無いことが理由なのだから。
このデジログへのコメント
コメントを書く