- 名前
- ぱすかる
- 性別
- ♂
- 年齢
- 73歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- 中身は40代。 気が弱く臆病だが、ココロは獰猛。
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ヒトラーは死んでネーよッ、95才まで生きてた
2017年09月12日 09:33
ヒットラーが1945年にベルリンで死なずに、
戦後、アルゼンチンで長く生存し、悠々自適の生活を送っていた。
この事実が世界に知られるということは、
世界を騙し続けてきた1%オリガーキユダヤ人の構築した壮大な嘘が発覚するということです。
大変、喜ばしい。この「変化」をきっかけに、
世界の真の構造が人類に広く知られ、目を開かせることを切に希望します。
ヒットラーは、金融ユダヤ人が雇った「イスラエル建国の父」でした。
パレスチナ万歳
やはり,,,
CIA:1950年代初期にヒトラーはまだ生きていた
米中央情報局(CIA)の機密解除されたファイルには、
1950年代半ばにアドルフヒトラーはまだ生きており、
南米で暮らしていたとする証拠が入っている。
通信社スプートニクによると、
ヒトラーの死は1945年とされているが、
米CIAのファイルから、
ヒトラーがその10年後の1955年にもまだ生きていたという証拠が発見された。
メディアは、情報提供者の書面による報告書と、ヒトラーの白黒画像という形で証拠を得た。
機密解除されたファイルによると、
CIA西半球局は1955年、秘密の短い文書を受け取った。
そこでは、CIAベネズエラ支局長が自身の情報提供者から、
ヒトラーが今も生きており、アルゼンチンにいるという内容の報告を受けたと述べられている。
情報提供者は報告の中で、
ナチス親衛隊の元兵士フィリップ・シトロエンと接触を持っていたと指摘している。
シトロエンは、現在ヒトラーとのつながりを維持していると主張したという。
またシトロエンが、ヒトラーがアドルフ・シャトルマイヤーという偽名をつかっていると話したほか、
1955年1月までヒトラーとおよそ月に一度会っていたと語ったという。
また報告には、シトロエンがヒトラーにとてもよく似た男性と一緒に写っている白黒画像も添えられていた。
先にアルゼンチンでナチスの秘密の倉庫が見つかったと報じられた。
ベルリンが陥落した1945年4月30日、
ヒトラーはシアン化合物のカプセルを噛み砕くと同時に、口にくわえた拳銃の引き金を引き自殺した。
傍らでは新妻のエヴァ・ブラウンも死んでおり、ふたりの遺体は裏庭に掘った穴の中で焼却された。
これが“事実”として伝えられている2人の最期だが、
その後、
世界は「ヒトラーは生きている!」という悪夢にとりつかれる。
当時ソ連の最高指導者だったヨシフ・スターリンは、
ヒトラーの遺体の検証後、アメリカ国務長官ジェームズ・バーンズに対し、
「ヒトラーはスペインかアルゼンチンに逃げ延びたにちがいない」と語った。
事実、メンゲレやアイヒマン、マルチン・ボルマンといったナチスの幹部たちはUボートで、
アルゼンチン南部およびチリまで逃げ延びていた。
2009年には、米コネチカット大学で行われた遺伝子鑑定によって
ベルリンの地下室で発見された頭蓋骨の破片が、
実はヒトラー本人のものではなく、20~40歳の女性のものだったことが判明した。
つまり、ヒトラーの死体は発見されていないのである。
hitlerdead
そして今年、また新たな〝事実“が加わった。なんと、
ヒトラーがブラジルで95歳まで生きていたというのだ!
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2016年3月、元ナチスの残党を追跡していたシモーニ・レニー・グエレイロ・ディアスによって、
ヒトラーがブラジル人の愛人と95歳まで生きていたという証拠写真が公開されたのだ。
この写真は死の2年前、
1984年に撮影されたもの。
写真の男は、黒人のガールフレンドであるクティーニャと一緒に幸せそうにポーズをとっている。
シモーニの著書『ヒットラー、その生と死』によれば、
ヒトラーがベルリンの地下室で死んだというのは
真っ赤なウソで、
アルゼンチンを経てパラグアイに飛び、ブラジルのマト・グロッソ州にある小さな町に落ち着いたという。
そこで彼はアドルフ・レイプジグという変名を用いて暮らし、
地元民には「年老いたドイツ人」として知られていた。
シモーニはブラジル系ユダヤ人だ。
彼女は、この地に埋葬されているアドルフ・レイプジグの亡骸を掘り起こし、ヒトラーの親族のDNAと比較して検証すべきだと主張している。
文=並木伸一郎
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このデジログへのコメント
やはり。
憎まれっ子、世にはばかるんですね。
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