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豊饒の海

2015年11月25日 23:23

法相宗というと恐らくは宗教であろうと言う認識は出来ても何なのかさっぱり分からないと思う。

日本というのは寛容というのか流行り廃りはあるものの残すべきものをしっかりと残す文化があるとしか思えない節がある。

この法相宗が当にそう

仏法ではあるが内容はほぼインド哲学といっていい
若い頃この唯識に何度かチャレンジしたが自信の知的レベルの低さに気付かされるだけに終わった
情けない限りである

平安時代に書かれた作者不詳の「浜松中納言物語」という作品がある

三島がどちらから入ったのかは定かではないが「唯識」という哲学と「浜松中納言物語」を
元に着想を得たのが転生の物語となる

豊饒の海」である

全四巻からなるこの長編小説は不当に貶められた評価がされた作品といえる

三島由紀夫の最高傑作が「金閣寺」でそれを超える作品がない事は事実で
その以降は読みやすい売れる作品を多く書いている

完結は昭和45年11月25日

春の雪」という平安絵巻のような恋の物語
聡子は何故清顕を拒んだのだろうか・・・

「奔馬」松枝清顕の親友である本多繁邦は法律家となり同時に唯識にどんどん導かれてゆく
彼が見つけた清顕の転生である飯沼勲はテロルの末・・・

「暁の寺」清顕の記憶を持つタイのプリンセス、この少女の周りに集うなかに「今西」という快楽主義者とその共犯者によって本多の別荘は炎に堕ちる

「天人午睡」高度成長期の日本、老いた視姦本多はそれを養子に取った清顕の転生と信じた「透」に見つけられ、うちひしがれた中最後に奈良の月照寺という門跡尼寺の老尼僧に会いに行く・・・

この作品特に「天人午睡」のみが創作ノートとは違う展開を見せている
三島由紀夫がこの作品を編集者に渡したのは45年11月初旬であった

三島にしてみれば今手に取れる天人午睡が彼が描きたかった最後なのかもしれない
否違うとも考えられる

三島豊饒の海を遺作とし昭和45年11月25日という日を選び筆を進めていった

三島由紀夫45歳

この日

日本は日本人の手で持って一人の天賦を陥れ辱め

このデジログへのコメント

  • ぶだい 2015年11月26日 19:42

    > Just call me Fさん

    「暁の寺」は「鏡子の家」を思い出させる作品ですよね
    奔放なジン・ジャンに本多が否定されるためにも彼女は「ビアン」でなければならなかったと考えます。

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