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既婚者と独身者の恋愛について

2015年02月25日 18:00

既婚者と独身者の恋愛について

今日、不倫について書いてくれというリクエストがあった。私は、書きたいことを書きたいように書いている。だから、こういうリクエストに応じるつもりはない。加えて、それに応じるだけの経験と知識を持ち合わせていないが、送ってきたメールに返信したいとは思った。この一文は、直接的にはメールの送り主への応答だが、間接的には私の思考の軌跡が個別性に留まらない一般性に到達できれば、という動機に基づき書かれようとしている。

タイトルを「不倫について」とはしなかった。その理由は、手垢のついた言葉と定義が曖昧な言葉を極力避けたいからだ。不倫とは倫理の侵犯だが、一夫一婦制の倫理規範は揺らいでいるのが現状だと思う。この現状認識は、現代日本に限定する。私の狭い知見で諸外国の現状について言及することはできない。さらに言うとするなら、一夫一婦制はそもそも倫理規範足り得ないのではないのか?とすれば、既婚者独身者恋愛不倫と命名することはできないことになる。

まず、恋愛について定義付けてみることにする。恋愛とは、一対の人間と人間の心身の継続的な結びつきだ。一対の人間が男女の場合も同性の場合もこの定義に包括される。ヘテロセクシュアルホモセクシュアルの差異は問わないということだ。

たとえば、友人と身体の結びつきを持てば、友情は恋愛に変容することになる。ただし、その関係がある一定期間継続されなければ恋愛とは言えないということになる。ここで、想定される異論がある。お前の定義では、セックスフレンドの関係は恋愛だということになるが、セックスフレンドの関係は恋愛ではない、というものだ。

この異論には、セックスフレンドは身体が主体で心の結びつきは従属的だから恋愛とは言えないと応えよう。私の定義は、吉本隆明の対幻想ベースになっているから、心の結びつきが主体で、身体の結びつきは従属的なのだ。身体の結びつきは、あってもなくても本質的にはどうでもいいのだ。

一対の人間と人間の関係は、互いに共有する時間が長ければ長いほど濃密さを増す。これは、恋愛においても同じだ。では、独身者独身者恋愛既婚者独身者恋愛はどう違うのだろうか。

すぐわかるのは、一方の双方が独身者のケースでは、互いが合意すれば、共有する時間に制約がないということだ。制約のない時間の共有を固定化したければ、同棲か、さらには婚姻という形式をとることも容易でないにしても可能ではある。

他方の既婚者独身者のケースでは、共有する時間に制約がある。メールの送り主の言葉を引用すれば、「遠距離で車で三時間の距離でいつもホテルで時間を過ごすだけになってます」というように、時間と空間の共有が短く狭い。この人に限らず、既婚者独身者カップルのほぼすべてのケースに共通するだろうが、ラブホテルで過ごすだけの関係になるだろう。

これはセックスフレンドとほぼ同質の関係だと思える。恋愛は心と心の結びつきが主体だが、限定された時間と空間での関係が長期に継続すると、既婚者独身者恋愛はやがてセックスフレンドの関係に変容する。これを自覚するのは、多くの場合、独身者だと思う。

当初は恋愛だったものもやがては身体だけの関係に変容する。ここに、既婚者独身者恋愛が必ず破綻する本質的な理由を求めることができる。

恋愛は心が生きていくための人と人の結びつきだ。既婚者独身者恋愛不倫と命名し、悪事であるかのように見做す本当の理由は、心が生かされ豊かで充実した関係を保てず破綻する関係が不幸だからだ。人は敢えて不幸を選択することもある生き物だが、不幸だと気づき不幸な関係を断つのも人間だと思う。

*画像は、大阪造幣局の八重桜。2015年4月11日撮影

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