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【お題日記】わたしの中のもう一人のわたし!
2014年06月04日 16:52
以下に引用する文章は、敬愛する作家「池波正太郎」の作品中の言葉。
なるほどなぁ、と納得しました。
・・・
『鬼平犯科帳 二 谷中いろは茶屋』
「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。
善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。
悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ」
『鬼平犯科帳 十 むかしなじみ』
「人のこころの奥底には、おのれでさえわからぬ魔物が棲んでいるものだ」
『男のリズム 家』
ちかごろの日本は、何事にも、「白」でなければ、「黒」である。
その中間の色合が、まったく消えてしまった。
その色合こそ、「融通」というものである。
戦後、輸入された自由主義、民主主義は、かつての日本の融通の利いた世の中を、
たちまちにもみつぶしてしまった。皮肉なことではある。
・・・
自分が思うに、この世の全てのものに何かしらの意味があるのではないか、と思います。
路傍にたたずむ人には見向きもされない草花、地中に潜む虫、生きものではない小石や土塊も、何かしら意味をもってそこにあるのではないか、と思います。
価値がない、汚らしい、気味が悪い、と言うのは人間の勝手な価値観や感情にしかすぎず、見方や考え方を変えれば、この世に必要不可欠なものではないか、と思います。
人間とて同じこと、見方考え方を変えれば、必ず自分の中にもう一人の自分がいるはずです。
それを自覚している人もいれば、一生自覚できない人もいる。ただそれだけ。
しかし、自覚できないのは悪か、と言えばそうではないし、自分はどっちなんだろう・・と考え曖昧としているのも人間。
人にかぎらず何事にも裏と表があり、それがあるからこそ、世の中はなんとかうまく廻っている、のではないか?
仮に、表裏の自覚が無くて(自覚があったとしても)1つの価値観にとらわれてしまったらどうなるだろう。
1個人だけなら世の大勢にはたいして影響がないだろう。しかし集団となってしまったら、こんなに恐いことはない。
宗教団体や政治結社、大きくは国家規模で、自分たちが一番正しくそれ以外の考えは認めない・・具体的な名称を出すのは控えるが、ちょっと思い起こすだけでも、身の回りにあるのが今の世の中の現状だ。
「わたしの中のもう一人のわたし!」
まずこれを考える事が、世の中をよりよくする第一歩ではないのだろか、そう思っています。
☆写真は道端に咲く「オオイヌノフグリ」漢字で書くと「大犬の陰嚢」実(種子)が犬のキ○○マに似てるから、が名前の由来。花は可愛らしくてキレイなんだけどねぇ。w
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