- 名前
- ひめおおじ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 38歳
- 住所
- 北海道
- 自己紹介
- 黒い自分。本性です。
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【お題日記】東日本大震災について話そう
2014年03月11日 23:42
東日本大震災、あれから3年。
震災当日は山形に住んでました。
社会人2年目。必死でした。
小学生から高校生まで東北に住んでいましたので
(福島4年半、仙台4年半)3.11は特別な一日です。
3年を迎えるにあたり、震災の特集記事が掲載
されておりますが、つい先日実家の母から電話が
あり、私の旧友の記事が掲載されていると連絡が
ありました。
彼は私と同い年の新米の新聞記者でした。
震災の時、彼は福島県沿岸地区で取材のため、
活動していたみたいですが、津波が近くまで
押し寄せて来ていたため、近くを車で通りかかった
地元の方に「危ないから来ちゃダメだ、逃げろ」と
いう意味のバツのマークを手で示したらしいです。
それを見た方は彼によって津波の難を逃れて無事
でした。
しかし、旧友はその後津波にのまれて亡くなりました。
その方は彼によって命が救われたことに感謝されている
ことと同時に、あの時に旧友も車に乗せて一緒に逃げれば
彼を助けることが出来たのではないか?
自分が見殺しにしてしまったのではないか、とその後すごく
苦しまれたそうです。
その方は命の恩人である彼を忘れない、彼の生きた証を残し
たいという思いで、その地区に建てられる慰霊碑に彼の名を
刻む…
そんな記事がありました。
彼によって救われた命。
彼のしたことで尊い命を救ったことは、すごいことだし、
素晴らしく栄誉ある、かっこいいことだと思います。
でも、
私としては、かっこよくなくていいから、栄誉よりも
名誉よりも、ただ、元気に生きて戻ってきてほしかった。
どんなに素晴らしい賞状よりも、どんなに素晴らしいトロフィー
よりも、彼が生きて帰ってくることの方がよっぽど
素晴らしいことだと思う。
非常に無念でなりません。
今回の記事で取材を受けられた方も、辛く苦しい3年間を
過ごされたのだと思います。見殺しにしたのではないか?と
ご自身をずっと責められたとのことです。
私自身は山形といえど、被害は軽微なものでしたので、
東北地区では恵まれた環境におりました。
救われた方も亡くなった友人も想像を絶するなか「あの日」
を過ごされたのだと思うと胸が張り裂けそうな思いです。
私にできること。
彼と過ごした日を決して忘れないこと。
彼の生きた証を、生きた軌跡を風化させないこと。
忘れないことこそ最大の供養になる。
そう信じて今日を祈ります。
震災で犠牲になられた方々へ心からご冥福をお祈り
致します。
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色々あって忘れてはいけない出来事
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