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貧富の差って拡大してる?(人生論的論文調)

2006年12月06日 23:52

 りょうさんのコメントがあったので、昨今の瞳的見解を述べてみる。

 各種格差が前内閣の時期から一段と広がったという説が飛び交っている(た)。

 しかし。一概に格差といっても、実質的に全ての面において優れているといえる人は数少ない。


 定義がはっきりしないまま、はやり言葉のように格差社会という言葉が出回っていたので、一部の人々は非常に混乱したり、いまだに無責任格差社会という言葉を振りかざし、人の精神を不安定にさせてお金儲けをしようというやからもいる。

 大体、そういった、ねたをばらまくのは、報道関係者等であることが多く、大抵その類はさほど法律面や人格面で秀でている人間はいない。なぜならば、少しでも人が興味を持つ話題を多く提供して、雑誌などの売り上げ部数を伸ばした人がその業界では優秀といわれるからだ。

 そんななかで、格差社会という活字を最初に打ち出した人はそちらの方面では秀でているのかも知れないが、世間では相当反感を買っている部分もある。ある種の、マスメディアの悪用のようにも思える。

 だが、冷静に思えば、経済的に裕福でも、学歴が乏しい人。学歴面で裕福であっても、幸福感が乏しい人。等。どこかしらに問題を抱えている人は限りなくいるので、一時的に経済面で裕福であっても、一気に覆される可能性も極めて高いことから、真の格差社会は実は、ほとんど格差もなく、ある一定値を辿っているのではないかと思うのだ。

 だから、芦屋市もよい例で、そこに住んでいる人は確かにある一定要件を満たした富裕層であるかもしれない。しかし、それがいつまで続くかも分からないし、その人達が住んでいる芦屋市自体は財政難であるが故に、各種税金は他の市町村と比較しても多くとられるわけだ。

 真の富裕層とは全てにおいて裕福である人を言うのであろうが、全てにおいて自分は裕福であると限界を作ってしまった段階で、その人は、人生の落伍者となっていくのだと思う。

 ということを思えば、真の富裕層とは、あくまで理想的数値であり、常に自分のレベルに合わせて設定を変えていかなくてはならないものでもあり、現実には存在し得ない存在であるといえる。

 と、瞳は思う。

このデジログへのコメント

  • どうちゃん 2006年12月07日 00:36

    あの世にお金を持っていけるわけでもないし、本当の幸せってなんだろうね?

  • のーす 2006年12月07日 00:50

    相対的比較でしかない「格差」をあたかも絶対的数値の如く捲くし立てるマスコミとやらは「病膏肓」状態か。

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