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親父の仕事

2013年01月10日 01:42

親父の仕事

明治生まれの親父は、数えの90歳に老衰で逝ったから、一応、大往生と言えるでしょう。
寡黙な人でしたので、親子で酒を飲んだり、会話を交わしたりの記憶は、全くありません。
船乗りで、3ヶ月に1度くらいしか、家に帰って来なかったのも、影響してるかも。

親父が丁度40の時の子なので、当時の定年55歳の時点では、私はまだ中学生
これから、高校~大学へと進んで行けるのかどうか、大いに心配すべきところ
ただ、その頃は、日本全体が貧しかったので、親の金など当てにせずに進学するのは当たり前。
なんとか、高校から奨学金が貰えたし、大学では学生寮に入れたので、どうにかなりました<(_ _)>
定期の仕送りは無かったけれど、たま~に、親父から現金書留が送られてくると、
無理してるんちゃうかなぁと、心配したもんです

船乗りと言っても、戦前~戦中は、海外航路に乗っていたようですが、
定年前20年くらいは内海航路の貨物船。
四国南西から、瀬戸内の方々に寄港しつつ、約1ヶ月かけて大阪天保山まで。

船長さんだったので、船内唯一の個室があてがわれており、
小学生の低学年の頃には、家族ぐるみで、大阪まで、何度も無賃乗船させてもらったものです。
丸亀あたりで、下の弟が盲腸になった時は、母子、置き去りにせざるを得ませんでしたが、
医者さんの対応もよかったらしく、帰り道で拾って、事なきを得たこともあります。

定年間際の10年ほどは、貨物船から、宇和島別府間の定期旅客船に出世
うわじま丸、あかつき丸(写真)、ゆうなぎ丸、べっぷ丸と、順繰りに乗っていたようですが、
いずれも、高々500トンほどの可愛らしいもの
おかげで、帰宅の頻度は高まりましたが、正直、鬱陶しく感じておりました。

それでも、別府航路だと、一晩の船中泊で行けるので、
金曜の夜乗って、土曜日には別府温泉、日曜朝に帰って来る、
という無銭旅行を何度も企てたものでした(^∇^)b

定年退職してからの親父は、漁船を買って漁業組合に加入。
漁師になるつもりだったようですが、漁業で食える時代ではない。
で、特に家のことをするでもなく、
座卓に向かって、小さなラジオで短波放送を聞きながら、なんやら、書き物をしておりました。
父島、東経137度、北緯27度。気圧1020ミリバール、気温28度、北東の風、風力3・・・。」
南鳥島、東経○○度・・・。」
ラジオの気象通報を聞いて、気象図を描いていたんですね・・・しかも全国版。。。
気象通報は、3時間おきにあるので、その都度、一から描き直し。
別に、もう船にも乗ってないし、誰かに報告するわけでもないのに、毎日、その繰り返し。
心中、まだ現役のつもりだったのでしょうか。。。

天気図を描きながら、唄っていた鼻歌がこれ↓
モスラテーマ

https://www.youtube.com/watch?v=K_wQEQiVfoc

このデジログへのコメント

  • こうめ 2013年01月10日 07:36

    そうやって脳を使ってたからこその90歳、大往生だったんでしょうね
    船…縁ないなぁ(・・;)

  • COSMICLOVE 2013年01月10日 08:09

    > ゆうらさん

    凄い~(o_ _)ノ彡☆
    お天気姉さんになれるね

  • COSMICLOVE 2013年01月10日 08:11

    > こうめさん

    脳を使ってたかどうかは不明です
    晩年まで、カラオケに行ってて、兄嫁の顰蹙を買い、小言三昧だったのが、長生きの秘訣だったのかも。。。

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