- 名前
- しょーた(`・ω・´)
- 性別
- ♂
- 年齢
- 33歳
- 住所
- 北海道
- 自己紹介
- まだまだ登録したばっかりで、全然よく分かっていないんですけど、 時間見つけてデジログ...
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「問い」に対しない「答え」もあるってこと
2012年10月26日 13:59
しょーたです。
最近は仕事やらなんやらが忙しくて、なかなか好きなことが出来ません。
むう・・・何も考えずに走りたい気分です!
が!今日は仕事中に忙しさを無視してお題日記!←
どうぞアホとののしってください!笑
答えを出したがるのはどうしてなーん?ということですが。
場面とか状況とかによって、いくらでも変わるので、
基本的には一概に回答しようのないアバウトな問題だとは思います。
ので、僕としてもアバウトに考えてみようと思います。
「答え」というものは、「問い」があるからこそのもので。
じゃあ、「問われている」ならば、「答える」のは当たり前のことだと思います。
ただ、いつもそうとは限らず、
形式ばった問題として回答を迫られる場面や、
遥か高くそびえ立つ壁を目の当たりにした瞬間、
そういう時は、何かしらの判断を下さなければならないと思ってて。
とはいえ、必ず出せるかどうかは、また別問題ですけどね。
こういうのに対する「答え」は、当たり前のことなんだけれども、
たぶん、テーマにある「答え」は、こういうのじゃないと思うんですよね。
じゃあどうして、形式ばってもいない、壁も実はさほど高くない、
そういったものにも「答え」を出したがるのか?と、考えてみると。
それは、常に「問われている」からでしょう。
「答え」を出さなくてもいいものなんてたくさんあると思います。
でも、それよりもずっとたくさん、「答え」を出せないもの、
出しにくい「問い」がたくさんあるんだと思います。
だからこそ、「答え」を出したがるんだと思います。
それが自分の支えとなったり、もしくはいつしかきっかけとなったり、
意味のあるものとなるであろうから。
もしくは、意味はなくとも、実績にはなるから。
「答え」の内容よりも、「答えた」ということが大事なんだと思います。
だから、答えを出したがるんじゃないかなあ。
分からないけれどもね!笑
僕の場合、自分が「答えた」とか、「答え」れなかったとか、
そういうのはどうでもいいんです。
誰かが僕を頼ってくれるなら、
その時、それに「応え」れたらそれでいいんです。
上手いこと言えた?←
あんまり時間ないので、まとまってないけどこの辺で!←
このデジログへのコメント
確かにその通りだね~
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