- 名前
- くまごろう
- 性別
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- 年齢
- 56歳
- 住所
- 鳥取
- 自己紹介
- 最近は正しい近代史を中心にログを綴っております。 日本人であることを誇らしく思う今日...
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おもろいもんめっけたw
2012年08月19日 07:51
大清皇帝功徳碑(だいしんこうていこうとくひ)は、ソウル市松坡区にある、清の皇帝ホンタイジの功徳を称える石碑です。
もちろん清や清の皇帝が設置したものではありません。
李氏朝鮮の16代国王、仁祖の命令で設置されたもの。(まあ設置をせざるを得ない状況に追いこまれたのだが)
この石碑は、当時としてはたいへんインターナショナルなもので、同じ内容が3ヶ国語(中国語、満州語、モンゴル語)で記されていた。石碑の内容は、だいたい以下のとおり。笑っちゃうからwww
①愚かな朝鮮王は偉大な清国皇帝に逆らった。
②清国皇帝は、愚かな朝鮮王をたしなめ、この大罪を諭してやった。
③良心に目覚めた朝鮮王は、自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。
④我が朝鮮は、この清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆った愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする。
なぜ朝鮮の王様が自国領の中に、しかも自らの手で建立するのだ?と誰もが思うはず。
じつに愉快な歴史がありましてねw
1637年に清と朝鮮とのあいだで丙子胡乱という戦いがあった。朝鮮は、清の皇帝ホンタイジ本人が率いる軍勢の前に首都漢城(現ソウル)は陥落し、事実上国家はいったん滅亡した。
しかし皇太子を含む2人の王子を清の人質に差し出すとか、外交権は放棄しますとか、貨幣はもう作りませんとか、黄金100両、白銀1000両の他、牛3000頭、馬3000頭、女性3000人など20項目余りの物品を毎年献上しますということで、ようやく国家滅亡と朝鮮王の一命は救われた。
この時、皇帝ホンタイジと朝鮮王仁祖のあいだで交わされた約束を「三田渡(さんでんと)の盟約」と呼ぶ。このとき朝鮮王仁祖が皇帝ホンタイジの前で9回土下座(三跪九叩頭の礼)したレリーフは、問題の石碑のそばに鎮座しているというw
どこにあるかといえば、独立門のちかく。
昔は迎恩門と言う名前で、まさに清国からの使者(皇帝じゃなくてただの使者ねww)がお通り召される門だったんですよ。
清の使者様がお通りになると、朝鮮の王はこのように土下座してお迎えしたという、まさに属国奴隷の鑑のような態度をとったというステキな歴史www
で、独立門は日清戦争で日本に独立させてもらった国民が迎恩門をぶち壊し、お祝いに建てたものです。
こんなことすら知らない韓国国民はたくさんいる。
「独立」門ってどこからの独立?
そう聞くとたいてい
「日帝からの独立ニダ!」
と胸を張って言うらしいwwwww
まさに捏造の歴史ww
このデジログへのコメント
> *のん*さん
「すんませんでした!」という謝罪文が石碑として残ってるとかwww
そしてダイナミック土下座のレリーフw
国民はそれを教わってないってんだからたまりませんわ。
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