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六根清浄・・・十二処・十八界の概念

2012年06月24日 17:20

昨日高尾山へ登った。

「残戯~懺悔!~六根清浄~」とでかい声喋りながら登りたいのは山々だが
たくさんの登山者に迷惑がかかるので心の中で

ささやきながら登った。

高尾山の中腹には「薬王院」があり

そこを通りみんな頂上へ向かう。

境内を横切り

頂上へ向かうので

ゆくとこどこに

丸い黒玉の下に「六根清浄」と書いてある。

やはり登山者は気にかかるようだ。

そこから宗教の世界へ導かれ入っていくのだが

それは人に勧められて入るより

自分から進んで入っていくより自然体なわけである。

まあいいとして

六根清浄という意味は

六根を断ち切り清らかな身になること。

六根というのは般若心経に出てくる

「眼・耳・鼻・舌・身・意」

感覚器官ともいう

十二処と十八界と説明を優しく解いていきますね。



1・十二処とは?


「五蘊・十二処・十八界」この3つは、無我の考えに基づいてそれぞれ違った見方から認識作用を

考えたものです。

 内容は皆同じく「一切法」(物質的・精神的なすべての物事)を表すことから「一切法に関する三科」と

呼ばれています。

知覚を生じる12の条件は「十二処」と呼ばれます。「処」は知覚の入口という意味で、十二処は

「眼・耳・鼻・舌・身・意」の6つの感覚器官(六根)と、それぞれの対象である

「色・声・香・味・触・法」の6つ(六境)を合わせたものです。

 六根のうち、眼・耳・鼻・舌・身はそれぞれ感じる心の動きのことです。

 六境のなかの法はほかの5つに分類しきれない全てのものです。


2・十八界とは?


十二処の六根と六境によって起こる6つの認識能力(6識)を加えたものが十八界です。

「界」は構成要素、領域の意味です。

六識と意根をあわせて心界といい実は全てが「心」を表します。「心=識=意」は同じ意味なのです。

 そのなかでも「意識」は心の主たるものという意味で「心王」とも言われます。

十八界の分類方法は根・境・識の「三事和合」つまり認識には必ずその対象(境)と認識器官(根)との

認識作用(識)の3つが必要だという考えによります。



            十二処・十八処の概念

・・・・・・・・・・・・・・    十八界   ・・・・・・・・・・・・・・・・☛

・・・・・   十二処   ・・・・・・・・・☛

  六根(感覚器官)    六境(対象物)      六識(認識能力


  眼根(視覚能力)・・☛色境(見えるもの)・・・・☛眼識(視覚的認識)

  耳根(聴覚能力)・・☛声境(聞こえるもの)・・☛耳識(聴覚的認識)

  鼻根(臭覚能力)・・☛香境(香るもの)・・・・☛鼻識(臭覚的認識)

  舌根(味覚能力)・・☛味境(味のするもの)・・・☛舌識(味覚的認識)

  身根(触覚能力)・・☛触境(触れられるもの)・・☛身識(触覚的認識)

  意根(知覚能力)・・☛法境(感覚されるもの)・・☛意識(知覚的認識)


苦をなくすプロセス


1物事は十八界(六根・六境・六識)の接触によってできる

2それによって現れる全てのものは無常であり苦である

3つまり十八界にこだわりがなくなれば苦は生じなくなる




まさに人間界でこの苦を生じなくするには(; ^ω^)・・・

まさに修行あるのみですな・・・

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