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大相撲の八百長疑惑についての一考。

2011年02月13日 19:43

相撲取りが金で勝ち星をやり取りしてたとしたら、甚だ遺憾だけど。
一方的に相手を思いやって取り組みの途中で力を抜くことが有ったとしてもそれまで八百長と咎める事は如何かと思います。
元々、相撲の中には一人相撲という、農作物の神と相撲を取るという神事もあるのです。
この神事は、三番勝負で、毎年今治大山祇神社で行われています。
最初の一番は神が勝ち、外見には人間が勝手にこけている様に見えます。
次の二番目は逆に人間が勝って1勝1敗とし最後の一番で神様が勝って気分が良くなった神様がその年の豊作を約束して神事が終わります。
これは如何見ても八百長でしょう^^
でも相手が神様なら八百長でもいいのでしょうか?
神様相手に八百長するのなら、相手が人間ならより八百長もしてしまうのではないでしょうか?
相手を思いやる心から出る八百長なら少し位許しても良いのではないでしょうか?
例えば七勝七敗で最後の取り組み、そんな時は相手は少しは手を抜いて勝ちを譲るという様な事が有るかも知れません。
この様な場合まで八百長と咎める事には僕は反対します。
だって、どんなに公平にスポーツをしようとしても人間には心が有るのだから・・・
お世話に成った人や気の毒な境遇にある人には手心を加えてしまうものだからです。
もちろん、お金で勝負を売るのには絶対に反対しますが・・・
こんな考え間違っているでしょうか?

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