- 名前
- amu
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『手毬(瀬戸内寂聴)』
2009年09月12日 20:24
先日の『年をとって、初めてわかること(立川昭二) 』に紹介されていた本。特にこれで無ければと言うことは無く選んだ。わが町の図書館で検索したら閉架に所蔵されていた。
今、少しだけ拘っているのは、作家が高齢になってから書いたものということで、中でも女流が気になっており、前の曽野綾子や村田喜代子も、その伝で読んだ。
さて、『手毬(瀬戸内寂聴)』であるが、七十歳の良寛(このリンクは素晴らしいと三十歳の貞心尼の物語。そこに、行商の小間物屋佐吉、遊女きくの人生が重なる。
いつものように、引用する。
良寛と貞心の会話
「歌も字も、旧い時代のものほど手本にするにふさわしいものがある」
「たとえば」
「歌は万葉から、記紀のものがいい。古今集はまだしも、新古今以後は手本にしない方がよい。万葉集をとにかく読んで読んで読みつづけることだな。わしの一番嫌いなものはな」
「おきらいなものは」
私は思わず膝をのりだしていた。
「歌よみの歌、書家の書、料理人の料理かな」
(中略)
「何事も旧いものほど、新しくて命がみなぎっていて、格調が高い。歌でも、字でも、料理でもな」
「習字は何をお手本にいたしたらよろしゅうございますか」
「一まず何をおいても王義之だろうて・・・その次に懐素や道風のものと伝わる秋萩帖かな・・・」
続いて・・・
夏の炎天下、仏殿の前庭で、汗まみれになりながら椎茸を干している老典座の作務を見て、二十三歳の若い留学生の道元が訊く。老典座は年を訊かれて六十八歳だとそっけなく答えた。
「この暑い日照りの中で、どうして年をとったあなたがそんなことをひとりなさるのですか、人足をお使いになればいいのに」
老典座がじろりと外国の留学生を見ていう。
「他はこれ我にあらず」
「それじゃもう少し日がかげってからなされば」
「さらにいずれの時をか待たん」
禅宗では作務を如何に大切にするか、台所仕事が座禅や看経(かんきん)に比べて対等であることを道元はこの時知らされたのだ。
以下は、良寛の嫁に行く娘へのメッセージ・・・?
•一、あさゆふおやにつかふまつるべき事
•一、ぬひをりすべてをなごのしよさ つねにこゝろがくべき事
•一、さいごしらひ おしるのしたてよう すべてくひものゝことしならふべき事
•一、よみかきゆだむすべからざる事
•一、はきさうじすべき事
•一、ものにさからふべからざる事
•一、上をうやまひ 下をあはれみ しやうあるもの とりけだものにいたるまでなさけをかくべき事
•一、げらゞゝわらひや すづらはらし てもずり むだ口 たちぎき すきのぞき よそめかたくやむべき事
右のくだりつねゞゝこゝろがけらるべし
おかのどの
これは、良寛も貞心も縁のある能登屋の娘おかのが嫁に行く際、良寛がおかのの母にたのまれて書いた心がけである
すずらはしとはふくれっ面のこと、てもずりとは何となく手さきで物をもてあそぶことである。
引用したところにもある【何事も旧いものほど、新しくて命がみなぎっていて、格調が高い。】に続き【新古今以後は手本にしない方がよい】というところは、旧いものがよいことに賛同する最近の自分であるが、『定家明月記私抄』をとても面白く読んだ身には、複雑なところである。
【歌よみの歌、書家の書、料理人の料理かな】との良寛の言葉から察すれば、定家はまさに歌よみである。その技術を良寛は嫌ったのであるから、致し方ない。
手毬
瀬戸内寂聴
装画;中島千波
1991年3月10日印刷
1991年3月15日発行
「新潮」1990年1月~12月連載
新潮社
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