- 名前
- たれちゃん
- 性別
- ♀
- 年齢
- 58歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 音楽と猫とお風呂が大好き。友達いなくて寂しいので、話し相手募集中です。年齢よりは大分...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
私の実家がなくなった経緯
2009年08月21日 23:56
今日は、私が家なき子ならぬ、家なきおばはん(!)になってしまった経緯を書いておこうと思う。
私の実家というのが、建物はうちの物だったんだが、土地は地主さんから借りてたんです。これが、土地までうちのだったら、大地震で壊れたりさえしなければ、家なき子になることはないわけですが・・・。
私は一人っ子で、私が生まれた時は、母方の祖父と同居していましたので、4人家族でした。その祖父は、私が小学4年の時、老衰で死去。
私が高校を出た年の5月、父が突然病死。夏目雅子が亡くなったのと同じ、急性骨髄性白血病というやつで、突然入院したと思ったら、たった1ヶ月で。私は、高校を出た後、半年だけ職業訓練校に行っていましたので、その間の出来事でした。
私は、その年の9月で職業訓練校を卒業し、10月から正社員で就職したのですが、残業や休日出勤が多過ぎるのが嫌で、半年足らずで辞めてしまい、以後、「バイトなら残業や休日出勤はないだろう」と言うことで、バイトを転々とすることに。まだ自分が若かったので、ちょっとでも嫌なことがあると、我慢しないですぐ辞めてしまい、次を探して、バイトしては辞め、の繰り返し。しかし、母は、働いていさえすれば、別にバイトでも構わないというスタンスで、バイトじゃなしに、ちゃんと正社員で就職しなきゃだめ、とは一度も言わない。
そして、母は、実家の建物があまりにもオンボロの木造だったので、それをアパートに建て直し、家賃収入が得られるようにしようと考え、それを実行に移した。2階建ての建物の、1階が、ワンルーム2世帯、2階が1世帯で、その2階に、私と母が住むことになったのです。
しばらくは母とも仲良くやってたし、下のアパートも、長年空きになってしまうこともなく、まあまあ幸せでしたが、ある時期から、私が、バイト先の人達と上手く付き合えないことを非常に悩み、明るくて社交的で、友達も多い母なんかに、私のこんな悩みが分かるわけない!と、母に絶縁状を叩き付けた。
以後、母とは、同じ建物に住んでても、極力顔を合わせずに暮らすことに。
そして、しばらくすると、1階のアパートに入居していた人の片方が引っ越して、部屋が開いたため、母がそこに住むことになった。この時点で、家賃収入が、それまでの半分になってしまうことに。これ以降は、母と私は、何か言いたいことがある時は、紙に書いてポストに入れるという方法を取ることに。
そしてある時、突然、母から、「この家が建っている土地の借地権がもうすぐ切れるから、ここの土地を買い取って、このままここに住むか、この家を売却してどこかへ引っ越すか、どっちかを選ばなければならなくなった」との手紙が!
そんな日が来るとは露とも知らずに暮らして来た私には、正に青天のへきれき。辛いことから逃げてばかりで、バイト代もほとんどを趣味に費やしてしまい、ほとんど貯金なぞなかった私に、土地を買い取れる金などある訳がなく、実家の建物を売って引っ越すことに。こういうことがあるなら、もっと何年も前からちゃんと言ってくれてれば、私だって、もうちょっと、将来のことを考えて、若いうちからもっとしっかり働いて、無駄遣いしないで貯金もしてたかも知れないのに、と、また母を恨む原因になってしまった。
それで、長年顔を合わせずに暮らして来て、その上に上記の事も重なっていたので、一緒に住むなぞ全く考えられずに、母と私は、当然の如く、別々に一人暮らしをすることになった。
実家を売って得た金を、母と私で半分こして、それを引越し費用と、今後の家賃に充てなさい、ということだったが、今の部屋に引っ越して約1カ月後、私は当時していたバイトを突然クビになってしまうという悲劇が私を襲った。直接雇用ではなく、日雇い派遣で、同じ会社に毎日行っていたというだけだったので、突然クビになっても、何の文句も言えない。それで、当然、他のバイトを探したが、その時既に40越えていた私は、特筆すべき資格もないので、バイトですらなかなか雇ってもらえず、仕方なしに、履歴書の字がまともならば誰でもいい、というノリの、短期のバイトをするしかなかった。
実家にいた頃は、家賃は不要だし、公共料金も母が払ってくれていたので、つまり、生活費の中で、自分の給料から出していたのは食費のみ。それが、引っ越して、食費以外の生活費も、自分の分は全部自分で払わなければならなくなった上にこんな状態で、実家を売った時にもらったお金もどんどん、家賃と生活費に消えて行った。
ところが、おと年、私の父方の叔父が亡くなり、奥さんも子供もいない人だったので、遺産の一部が私に回ってくることになった。それで、色々手続きをするのに、私と母が、離れた所に住んでいて、手紙だけでやり取りしてるんじゃ埒が開かないと、母と直接会って、色々な手続きをすることになった。これをきっかけに、母とは和解出来て、お金も入ったので、その点は良かったが、当時、仕事が見つからず、無職だった私は、その遺産も、あっと言う間に生活費と家賃で使い果たしてしまった。
それで、母と和解出来たのは良かったが、生きてる限りお金の心配をしないと行けないのにホトホト嫌気がさして、仕事を探す意欲もなく、家賃を滞納して、「もうすぐ死ぬ」とかここに書いて、運営側から警告されたりして今に至るってわけさ。
私が、若いうちに結婚して、旦那に養ってもらうとか出来れば良かったのだが、あと何年かすれば、実家には住めなくなるかも知れないということを母から知らされず、好きなことさえしてれば幸せで、先の事を考えるのが嫌いで、今さえ良ければで過ごしてきてしまったからなぁ。わがままで、家の中のことは全て、自分の思い通りにならないと耐えられない私には、結婚は向かないって思い込んでたし。結婚は妥協の産物って申しますでしょ?家の中の事、全部、どうするか、旦那と話し合わないといけないなんて、しち面倒臭いこと、自分には出来ないって思ってましたからねぇ。最近は、「今まで、自分には結婚は向かないって思い込んでたけど、一度もしたことがないのに、向かないって決め付けてただけなのかも。してみたら、案外悪くもないのかも?」とか思い始めてるけど・・・。ま、これは、相手にもよりますからね。
このデジログへのコメント
ああー、長かったな。最後まで読んでくれた奇特な方々には、お礼を申し上げたい。
いろいろあったんですね
> habatakeさん
もう、色々あり過ぎましたよ(疲)
コメントを書く